新研究ユニットの紹介:単純さの探求
これまで物理学者たちは長きにわたり物質およびエネルギーの本質や特性を巨大な宇宙規模と極微の陽子規模で説明することのできる普遍の法則を探し求めてきました。しかし、比較的最近まで、DNAの構造や人間の思考の本質のような複雑な生物系は未踏の領域でした。
OISTに新たに立ちあがった理論生物物理ユニットのグレッグ・スティーブンズ准教授は、「物理学では、電磁気力、重力、強弱の核力が宇宙の基本的相互作用であることを学びますが、これらの法則を解明するために用いる脳について理解することも、法則そのものの理解と同様に極めて重要であると思います。」と述べています。
スティーブンズ准教授はかつて理論物理学を専攻し、現在は生物界を理解するために研究を続けています。OISTの学際的な環境は非常に居心地がよいと感じており、「私の研究には緊密な協同作業が必要であり、OISTでは、分野をまたぐ共同研究を阻む壁は極めて低いと感じます」といいます。スティーブンズ准教授は、オランダのアムステルダム自由大学の物理天文学科の准教授を兼務しており、そこでも生物物理学の研究を行っています。
生物物理学が1つの分野として注目を集めるようになったのは、ノーベル賞受賞者で理論物理学者のエルビン・シュレーディンガーが『生命とは何か』を出版した1944年のことです。この本は、物理学および化学によって生命をどのように説明できるかということについての公開講演を基に執筆されたものでした。当時、この内容は画期的であり、生命は自然科学の対象外であるという考えに疑問を呈するものでした。それ以来、生物物理学では主として、DNA、RNAおよび蛋白質の解析など、分子現象の解明に焦点を当ててきました。
OISTでスティーブンズ准教授は、分子のような要素が多数集まってできるシステムに関する研究を行っていますが、これは新しい生物物理学的実験の出現によってはじめて可能になったものです。「今日では、細胞中の多数の分子、脳の中の多数のニューロン、あるいは群れの中の多数の鳥を測定することができます。これらのデータによって、システム全体の包括的な理解が可能になり、その機能のもととなる原理を発見するための解析が進みます」と同准教授はいいます。
スティーブンズ准教授は、プリンストン大学のポスドク時代に、認知科学を専門とする仲間と一緒に、脳の活動と人間のコミュニケーションとの関係を解明する研究を行い、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)を用いて、話をしているときの話し手の脳の活動と、その話を聞いているときの聞き手の脳の活動を記録しました。これらのデータによって、聞き手の脳の活動がしばしば話し手の脳の活動に類似しているということだけでなく、この類似性は聞き手の理解度に対応しており、話し手と聞き手の脳の中の類似性が強いほど、聞き手は後で物語の内容を詳細に思い出すことができるということもわかりました。
「人間の脳は、伝統的な物理システムとはかけ離れていますが、これまでの経験に基づいて、話し手と聞き手の脳の活動の類似性の程度、場所、およびタイミングを推定するための簡単な数学モデルを構築することができます。」と同准教授は述べます。
スティーブンズ准教授はまた、動物界において人間とは対極にある長さ約1 mmの透明な虫、線虫(C. elegans)の行動パターンについても研究しています。興味深いことに、C. elegans はOISTのディスティングイッシュトプロフェッサーであるシドニー・ブレナー博士が分子生物学の研究を開始した1950年代に、モデル生物としての使用を普及させたものです。
「C. elegansの動きは見ていて美しく、明らかに不規則ではありませんが、特徴づけることも難しいのです。それでもデータによく適合するこの虫の動きを、数学的に正確に表現したいと思ったのです。」とスティーブンズ准教授は述べています。
この虫の体を形成しているすべてのニューロン、シナプスおよび筋肉を再構築し、次にその行動をシミュレートするのも1つの手法ですが、「C. elegansは、数百のニューロンしか持っていないにもかかわらず、このようなモデルを作成するための詳細は十分にはわかっていません。生物学における他の多くの例と同様に、システムの行動をそのパーツの合計から予測することは難しいのです。」と教授はいいます。
別の手法として、スティーブンズ准教授とプリンストン大学の研究仲間は、C. elegansの動きの高分解能ビデオを直接解析し、線虫が動くときに体をくねらせる形すべてを、基本的に4つのプロトタイプとなる形の組み合わせによって説明できることを発見しました。また、これらのプロトタイプ形状を用いて、遺伝学的には人間と魚ほどに違う、幅広い種の線虫の行動を統合的に記述することもできます。
「物理学は、単に物質とエネルギーを研究するだけのものではなく、簡単なモデルと一般原理を広範囲に応用することのできる知的文化であり、単純なアイデアをどのようにしてどこまで押し広げられるかを見極めることは、物理学にとっても生物学にとっても素晴らしい挑戦です」とスティーブンズ教授は述べています。
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