知性が集まるガラスの城
沖縄のガラス作家、稲嶺盛吉氏の最新の作品を展示するガラスアート展「海―Ocean」がOISTにて10月末まで開催されています。OISTのジョナサン・ドーファン学長は、稲嶺氏について「類まれな技法と素晴らしい芸術作品を創作する才能を併せ持った独創性豊かで革新的な芸術家として国際的な評価を受けています」と語り、「稲嶺氏の美しいガラスアートの作品展をOISTで開催できますことを大変光栄に存じます」と話しました。
稲嶺氏が那覇市に誕生してから5年後に終結した沖縄戦は、第二次世界大戦における日本国内での最大規模の地上戦であり、沖縄諸島に甚大な被害と爪痕を残しました。物資が不足していた戦後、沖縄のガラス職人たちは米軍が持ちこんだコーラやビールの廃瓶を利用してガラスの生産を行いました。廃瓶を再利用して作られたガラスには気泡が含まれましたが、これは量産のガラス製造においては、多くの場合、不良と扱われました。1972年の沖縄の本土復帰後、原材料が容易に入手できるようになり、この環境に優しい廃物利用も過去のものとなりました。
しかし、稲嶺氏にとっては違いました。長年ガラス製造所で量産ガラスの製造に携わった同氏は、観光客のために完璧なグラスを次々と生産することに次第に興味を失いました。稲嶺氏は、廃瓶から再生されたガラスの不完全な魅力が忘れられず、独自の作品を探求するために1988年に読谷村のやちむんの里に「宙吹ガラス工房 虹」を設立しました。
気泡が吹き込まれた稲嶺氏の作品は、最初は買い手がつきませんでしたが、次第に人々の注目を浴びるようになります。稲嶺氏は1994年に「現代の名工」を受賞され、その後、イタリア、スウェーデン、中国、ギリシャなどの美術館や芸術協議会に認められ、多くの賞を受賞されています。
OISTでのガラスアート展が始まった10月4日は、折しもOIST理事会の会合が開催されていたため、ノーベル賞受賞者のジェローム・フリードマン理事、李 遠哲理事、トーステン・ヴィーゼル理事を含む理事会メンバーが、稲嶺氏と共にガラスアート展のオープニングを祝うレセプションに集いました。著名な芸術家と科学者の交流はそうそうあることではありませんが、OISTではまさにそういったことがあるのです。稲嶺氏は展示会の開催に際し、「今後、知性の宝城である沖縄科学技術大学院大学の、躍動する若き英知が次世代を開拓し、科学・文化・芸術の平和への大輪が更なる飛躍を遂げる事を切願します。」との言葉を寄せて下さいました。