世界で初めてサンゴの全ゲノム解読に成功
独立行政法人沖縄科学技術研究基盤整備機構(OIST)マリンゲノミックスユニット(代表研究者:佐藤矩行、研究員:新里宙也、將口栄一、川島武士、濱田麻友子ら)は、沖縄に生息するサンゴ、コユビミドリイシ(Acropora digitifera)の全ゲノムを世界で初めて解読しました。研究成果は、2011年7月25日(日本時間)発行の英国科学雑誌 Natureのオンライン版に掲載され、Nature Newsでも取り上げられました。
サンゴはクラゲやヒドラ、イソギンチャクと同じ刺胞動物の仲間ですが、サンゴは共生している「褐虫藻」と呼ばれる微細藻類から養分を得て、海中に巨大な構造物、サンゴ礁を作るという、他の刺胞動物にはない特徴をもっています。全海域のわずか1%の面積にも満たないサンゴ礁ですが、そこは全海洋生物のおよそ25%の命を育む、地球上で最も生物多様性豊かな場所の一つです。しかし近年、地球温暖化や海洋酸性化などで、サンゴ礁は危機に瀕しています。サンゴ礁が崩壊すると、そこに生息する多様な生物も死滅します。これまでサンゴの遺伝子レベルの研究はほとんど行われてきませんでした。生き物の命の設計図である「ゲノム」は遺伝子研究の究極の基盤となるため、サンゴのゲノム解読はサンゴ生物学者の悲願でした。
沖縄県は、世界中のサンゴの30%、約400種が生息する、生物多様性豊かなサンゴ礁を誇ります。我々は、沖縄周辺海域に生息し、1998年の世界的な大規模白化現象(サンゴが褐虫藻を失うこと)により激減したミドリイシ属サンゴの一種、コユビミドリイシの全ゲノム解読を行いました。
本研究では、OISTテクノロジーセンターに導入されている、「次世代型シーケンサー」と呼ばれる、DNAを超高速・大量解読可能なゲノム解読装置を用いることで、これまでの動物ゲノム解読よりも短期間で、約4億2千万塩基対からなるコユビミドリイシの全ゲノム解読に成功しました。このゲノム配列から約23,700個の遺伝子を見つけました。ゲノム情報を解析した結果、(1)化石から予想されたよりもサンゴの起源は古いこと、(2)白化に弱いミドリイシ属は、非必須アミノ酸であるシステインを合成するのに必要な酵素を持たず、褐虫藻に依存している可能性があること、(3)サンゴ自身がUV吸収物質を合成できること、(4)複雑な自然免疫系の遺伝子を持つこと、(5)サンゴ特有の石灰化遺伝子候補が多数あること、などが明らかになりました。
生態学的、経済的に重要な生き物であるにも関わらず、遺伝子レベルでの詳細な研究が進んでこなかったサンゴ。その命の設計図である全ゲノムを解読したことにより、サンゴと褐虫藻の共生メカニズム、近い将来に起こりえる海水温上昇や海洋酸性化にサンゴがどのように応答するのかなど、詳細が明らかになることが期待されます。日本国内(沖縄、小笠原、奄美)では、サンゴ礁の観光産業その他の経済効果は、少なくとも2,500億円と見積もられています。多種多様な海洋生物が生息するサンゴ礁が存在する、海洋生態系の「ホットスポット」とされる沖縄。ここに生息するサンゴのゲノムを解読したことで、沖縄が今後サンゴ研究の一大拠点になることが期待できます。
【発表論文 詳細】
- 発表先および発表日:Nature
2011年7月25日 (月曜日) 2時00分AM (日本時間) - 論文タイトル:Using the Acropora digitifera genome to understand coral responses to environmental change (コユビミドリイシ・ゲノムを用いたサンゴの環境変動応答の理解)
- 著者:Chuya Shinzato, Eiichi Shoguchi, Takeshi Kawashima, Mayuko Hamada, Kanako Hisata, Makiko Tanaka, Manabu Fujie, Mayuki Fujiwara, Ryo Koyanagi, Tetsuro Ikuta, Asao Fujiyama*1, David J. Miller*2 & Nori Satoh
*1 国立遺伝学研究所(静岡県三島市谷田1111)
*2 ARC Centre of Excellence for Coral Reef Studies and School of Pharmacy and Molecular Sciences, James Cook University, Townsville, Queensland 4811, Australia.
* 注釈の無い著者は全てOIST所属。
なお、本研究は、沖縄科学技術大学院大学の設置に向けて当機構が実施する先行的研究事業の一環で行われたもので、内閣府から当機構に対する運営費交付金の他、文部科学省及び独立行政法人科学技術振興機構からの補助金が一部活用されています。また、上記2機関の共著者等の協力を得ました。
研究の背景と詳細
<背景>
全海域のわずか1%にも満たないサンゴ礁域。そこは全海洋生物のおよそ25%の命を支える、地球上で最も生物多様性豊かな場所の一つです。観光業や漁業など、たくさんの人々がサンゴ礁の恩恵を受けています。日本国内(沖縄、小笠原、奄美)では、観光産業その他の経済効果は、少なくとも2,500億円と見積もられています(環境省自然環境局推計)。しかし人間活動が原因とされる地球温暖化や海洋酸性化などで、サンゴ礁は危機に瀕しています。サンゴは光合成を行う微細藻類、褐虫藻と共生し、栄養の大部分を依存しています。しかしこの共生関係は、わずかなストレスで壊れてしまいます。その代表例が、褐虫藻がサンゴから抜ける「白化現象」です。現在世界中のサンゴの三分の一の種が絶滅の危機にあるとされています。サンゴ礁の崩壊は、そこに生息する多様な生物の死滅も引き起こします。このように経済的にも生態学的にも重要な生き物であるにもかかわらず、これまでサンゴの生物学分野で、遺伝子レベルでの研究はほとんど行われてきませんでした。我々は遺伝子研究の究極の基盤構築のため、サンゴの全ゲノム解読を行いました。沖縄周辺海域に生息し、1998年の世界的な大規模白化現象により、特に激減したことが知られるミドリイシ属サンゴの一種、コユビミドリイシ(Acropora digitifera)をゲノム解読する種に選定しました。
<研究内容>
2008 年初夏の満月頃に産卵したコユビミトリイシ一群体から精子を採取し(参考写真 b)、そこから高純度のゲノム DNAを抽出しました。フローサイトメーターにより、ゲノムサイズは約 4 億 2 千 万塩基(base pair, bp)だと推定されました(人間は 30 億塩基対)。Roche 社 454 Titanium と Illumina 社 Genome Analyzer IIx の2種類の次世代型 DNA シーケンサーにより、ゲノムサイズの約 151 倍の データ量の DNA配列を解読し、コンピューターでゲノムをアセンブル(再構築)していきました。 その結果、Contig*1 N50 サイズ*2 が10.7 kbp、Scaffold*3 N50サイズが191.5kbp(4,765配列)を達成しました。このゲノム情報は、以下のウェブサイトからアクセスすることができます。http://marinegenomics.oist.jp/acropora_digitifera
アセンブルしたゲノムから遺伝子予測を行い、23,668箇所の遺伝子領域を見つけました。約93%の遺伝子は他の動物と類似していましたが、そのうちの11%は他のサンゴ種のみと相同性が確認されました。このことから、サンゴ独自の遺伝子が多数存在することが分かりました。
化石記録から、現世サンゴの仲間は約2億4千万年前に地球上に現れたとされていました。これまでにゲノム解読されているヒドラ(Hydra magnipapillata)やイソギンチャク(Nematostella vectensis)などと、420個の遺伝子(94,200アミノ酸)を用いたゲノムレベルでの系統解析の結果、サンゴとその近縁のイソギンチャクとの分岐は化石から予想されたよりも古く、約5億2千万年前から4億9千万年前に起こったことが推定されました。
数億年前から褐虫藻と密接な共生関係を築いているサンゴのゲノムに、褐虫藻からの遺伝子移入はあるのでしょうか?ゲノムを調べた結果、そのような痕跡は見つかりませんでした。しかし代謝系の遺伝子を調べると、コユビミドリイシは非必須アミノ酸であるシステインを生合成する酵素の一つ、cystathionine ß-synthaseをゲノムから失っていることが分かりました。興味深い事にミドリイシ属以外の他のサンゴには、この遺伝子の存在が確認されました。ミドリイシ属サンゴは代謝系をより共生している褐虫藻に依存しているので、褐虫藻がいなくなる白化ストレスに弱く、1998年の大規模白化現象の時に大きく影響を受けたかもしれません。
サンゴ礁は透明度の高い浅瀬に存在します。そこは同時に、生命に有害な紫外線に、非常に強く曝される場所でもあります(参考写真c)。サンゴがMAAと呼ばれるUV吸収物質を持っていることは分かっていました。この物質は動物が合成できないとされているので、共生している褐虫藻が作っていると信じられてきました。しかしコユビミドリイシは、MAAを合成するのに必要な遺伝子全てをゲノムに持ち、自ら合成できることが示唆されました。
サンゴは細胞内に別の生命体である褐虫藻を共生させています。褐虫藻と病原体を区別する自然免疫メカニズムは、サンゴと褐虫藻の共生を理解する上で重要です。そこで自然免疫に関わる遺伝子を調べたところ、同じ刺胞動物の仲間で、褐虫藻と共生していないイソギンチャクやヒドラよりも、複雑な遺伝子レパートリーを持つことが明らかになりました。数億年にもわたる長い期間の褐虫藻との共生が、サンゴの複雑な自然免疫系の遺伝子を生み出した可能性が示唆されました。
サンゴは炭酸カルシウムの骨格を形成することで巨大な構造物を作り、多種多様な海洋生物の住処になっています。大気中の二酸化炭素濃度上昇による海洋酸性化によって、サンゴの石灰化は悪影響を受ける可能性があり、石灰化メカニズムを明らかにすることは重要です。ゲノムから石灰化に関わる可能性のある遺伝子を探索しました。これまでにサンゴの石灰化に関わっていることが明らかになっているGalaxinという遺伝子や、カルシウムイオンと結合するアスパラギン酸の含有量が高い遺伝子など、サンゴ特有の石灰化候補遺伝子を複数ゲノムから発見しました。
<今後の期待>
サンゴは骨格を持つことなどから、これまで遺伝子の研究を行うことが困難でした。本研究でサンゴの全ゲノムが解読されたことにより、遺伝子レベルでの詳細な研究を行う基盤が構築されたため、サンゴ遺伝子を用いた様々な分野での研究が飛躍的に発展することが期待されます。サンゴはどのように褐虫藻と共生しているのか、なぜこの共生関係は儚いものなのか、サンゴ−褐虫藻共生体は今後起こりえる環境変動にどのように応答するのか、詳細な研究が必要です。今回解読したサンゴゲノムと共に、サンゴと密接な共生関係を築いている褐虫藻のゲノム情報があれば更に理解が進むことから、今後の褐虫藻のゲノム解読が待たれます。
<佐藤博士のコメント>
本研究は、約3年前に同ユニットがOISTで発足した時にゼロからスタートして、ほぼユニットのメンバーだけで達成したものです。我々の研究チームは、動物の新規ゲノム解読という観点から言えば、世界的にみても非常に数少ないものの一つです。また、美しいサンゴ礁に囲まれた沖縄でサンゴゲノムが解読できたという点でも意義深いものです。
<用語解説>
*1: Contig: 解読不能な塩基配列(ギャップ)を含まない一続きのDNA配列。
*2: N50: アセンブルしたゲノム全長の50%は、それ以上の長さの配列に含まれるという値。ゲノム・アセンブルを評価する指標の一つ。
*3: Scaffold: ギャップを含んだ一続きのDNA配列
<参考写真>
(a) コユビミドリイシ(Acropora digitifera)。沖縄県石垣島にて撮影。
(b) 初夏に起こるコユビミドリイシの産卵。水中に浮かんでいるのが「バンドル」と呼ばれる卵と精子の塊。バンドルから精子を集めてDNAを抽出し、次世代型シーケンサーでゲノムを解読した。
(c) 干潮時に空気中に露出する所にも生息する、コユビミドリイシをはじめとするサンゴ群集。沖縄県本部町備瀬にて撮影。
【お問い合わせ先】
<研究に関すること>
独立行政法人沖縄科学技術研究基盤整備機構 (http://www.oist.jp)
マリンゲノミックスユニット
代表研究者: 佐藤矩行
TEL: 098-966-8534, 080-2732-7910 FAX: 098-966-2890
E-Mail: norisky@oist.jp
研究員: 新里宙也
TEL: 098-966-8653 FAX: 098-966-2890 E-Mail: c.shinzato@oist.jp
<OISTに関すること>
独立行政法人沖縄科学技術研究基盤整備機構 (http://www.oist.jp)
総務グループ コミュニケーション・広報課: 名取 薫
TEL: 098-966-8711(代表) TEL: 098-966-2389(直通) FAX: 098-966-2887
E-Mail: kaoru.natori@oist.jp
<沖縄科学技術大学院大学について>
沖縄科学技術大学院大学は、沖縄科学技術大学院大学学園法に基づき開学準備が進められている新しい大学院大学で、沖縄において世界最高水準の科学技術に関する教育研究を行い、沖縄の自立的発展と世界の科学技術の向上に寄与することを目的としています。現在までに、本研究を行ったマリンゲノミクスユニットを含め35の研究ユニット(研究者約190名)が発足し、神経科学、分子科学、数学・計算科学、環境科学の4分野において、学際的な研究活動を展開しています。また、国際ワークショップやコースの開催など、学生や若手研究者の育成にも力を入れており、これらの取組は国際的にも認知されています。平成23年3月、沖縄科学技術大学院大学学園法に基づき、文部科学大臣に対する設置等認可申請が行われ、文部科学省の審議会による審査を経て、11月に設置が予定されています。