脳とカーナビに共通するメカニズムを発見

感覚情報と運動情報を統合する大脳皮質の働きが明らかに

概要 

不確かな感覚情報を自分の行動に補い合わせることで現在の状況を推定することは、ヒトや動物の高度な認知機能のひとつで、そのしくみの解明は脳科学の大きな課題です。

一方で、この脳科学上の課題は、工学分野、例えば自動車のナビゲーションシステムなどで応用が進んでいるという実態があります。沖縄科学技術大学院大学(OIST)の船水章大研究員、ベアン・クン准教授、銅谷賢治教授の研究チームは、マウスを使って、実際に動物の脳の中で、カーナビが採用している「動的ベイズ推定」(後述)という理論と同様の働きが、大脳皮質の頭頂葉の神経回路で起こっていることを検証しました。これは、これまで理論的な提案にとどまっていた仮説に、実験的な検証により証拠を示した初の成果となります。本研究成果は、英科学誌Nature Neuroscience(ネイチャー・ニューロサイエンス)に掲載されました。

背景 

真夜中に目がさめて、真っ暗な部屋で手探りでドアを探すという経験はありますか?そのようなとき私たちは、ベッドからこれだけ歩いたからあと何歩くらいでドアがあるはず、と過去の経験をもとに予測をしながら、家具や壁に触るたびにその予測を修正することでドアにたどり着くことができます。このように、不確かな感覚情報を行動情報と補い合わせることで現在の状況を推定することは、工学的にも重要な課題です。例えば自動車のナビゲーションシステムは、トンネルやビルの谷間でGPS信号が弱くなっても、タイヤの回転数から車の位置の変化を予測し、GPS信号が得られればその予測を修正・更新します。弱いGPS信号のように、ノイズの多いセンサ信号から必要な情報を推定することは工学分野においても重要な問題で、この予測と更新の繰り返しは、「動的ベイズ推定」と呼ばれる理論をもとに実現されています。その代表例である「カルマンフィルター」は、ロケットから携帯電話まで、近年ますます応用が広がっています。しかし私たちの脳は、「カルマンフィルター」を提案したカルマン博士の偉大な発明のはるか以前から動的ベイズ推定を活用していたのかもしれません。

研究手法と成果 

研究チームは、マウスが断続的な聴覚情報のもとで、自身の歩行運動をもとに目標の位置を推定する脳のしくみを、二光子顕微鏡1を使った神経細胞のカルシウムイメージング2と、脳情報のデコーディング技術3を駆使して調べました。その結果、大脳皮質の頭頂葉4(図1)の神経細胞は、近年工学的な応用が進む「動的ベイズ推定」と同様に、自分の行動をもとに目標位置の変化を予測し、感覚情報によってそれを更新していることがわかりました。

 

頭頂葉
(図1)前頭葉 右図では、頭頂葉の神経細胞の形態を二光子顕微鏡でイメージングした。

実験にあたり、まず研究チームは、顕微鏡の下でマウスが自由に歩けるように、空気圧で浮かせた発泡スチロールのボールの上にマウスをのせ、ボールの回転に応じて周囲のスピーカーからの音の強さと方向を変化させる仮想現実環境を構築しました(図2)。1回の実験は、音源が約1メートル先の地点から始まり、マウスが前進してボールを回すとそれに応じて音源は近づいて来て、マウスが音源の位置に来ると目の前の管から砂糖水が出てきます。マウスはこの行動を十分に学習した後には、音源に近づくにつれて砂糖水が出る管をなめる行動をとるようになります。

 

仮想現実環境
(図2)仮想現実環境 マウス周囲に12個のスピーカーを設置した。仮想現実環境上の音源を再現するために、音の出るスピーカーと音圧を調整した。

次に研究チームは、目標に向かう途中の約20センチほどのいくつかの区間では音を出さなくするという実験を行いました。この場合でも、砂糖水が出る位置に近づくにつれて、マウスは管をなめる頻度を増やしていきました(図3)。このことは、マウスは自分の歩行運動をもとに目標位置を予測していることを示しています。これはカーナビがトンネル内に入ったときにタイヤの回転から位置を予測するのと同じ原理です。さらに研究チームは、マウスの脳の頭頂葉という部分に神経活動を抑制する薬を注入すると、音がない状態では管をなめる 行動が増えない、つまり予測がうまくできなくなることを発見しました。

 

音の無い区間でのゴール距離推定
(図3)音の無い区間でのゴール距離推定 マウスは、仮想現実環境上の音源に到達すると、砂糖水を得た。マウスは、音源に近づくにつれて、水の出る管をなめる回数を増やした。この増加は、音の鳴らない区間でも見られた。この結果は、マウスが自分の歩行運動をもとに、音源までの距離(ゴール距離)を予測したことを示す。

メインとなる実験では、8匹のマウスの頭蓋骨に小さな穴を開けガラス板を埋め込む手術を行ったあとで、マウスがこの課題を行っているときの大脳皮質の頭頂葉の神経細胞数百個の活動を二光子顕微鏡で計測しました。多くの神経細胞は、目標位置への距離の変化に応じて活動を変化させることがわかりました。さらに、これらの神経細胞の多くは、音が聞こえない区間に入ってもその活動を維持していました。

これらの神経細胞の集団の活動が意味するものを探るため、研究チームは脳情報のデコーディング技術を応用しました。これは、音が聞こえる条件で個々の神経細胞がどの距離でどれくらい活動するかという特性(コーディング)を調べておき、ある時点での多数のニューロンの活動からゴール距離を確率的に推定(デコーディング)するというものです。その結果、頭頂葉の神経細胞の集団は、音が聞こえない区間でもマウスの歩行に応じたゴール距離の変化を予測していることが明らかになりました(図4)。また、音が聞こえる区間では、距離予測の精度は向上していきました。つまり頭頂葉は、外界からの感覚情報が無い場合にも行動から現在の状態を予測し、感覚情報が得られるとその予測を更新するという、動的ベイズ推定を実現していることが明らかになりました。

 

動的ベイズ推定に基づく頭頂葉の距離予測
(図4)動的ベイズ推定に基づく頭頂葉の距離予測 頭頂葉で計測した神経細胞群の活動から、音源までの距離(ゴール距離)をデコードした。頭頂葉は、音の鳴らない区間でも距離を推定できた。音の鳴る区間では、距離推定の精度が向上した。これらの結果は、頭頂葉が動的ベイズ推定の予測・更新に基づいて距離を推定することを示唆する。(右上の図:点線がマウスの位置、分布が神経活動から推定した距離)

これまで、大脳皮質の神経回路が動的ベイズ推定を行っているという理論的な仮説は提案されていましたが(文献1、2)、実験的な検証はされていませんでした。研究チームは、行動中のマウスの多数の神経細胞の活動を計測・解析することで、大脳皮質の頭頂葉が自らの運動情報による動的ベイズ推定に関わることを示す証拠を得ることができました。

 

研究の意義・今後の展開 

脳は動的ベイズ推定によって、過去の感覚情報と自分が行った行動から、現在の状況を予測します。「これは脳が未知の状況を予測する『脳内シミュレーション』の基本的な形だと考えています。」と銅谷賢治教授は言います。脳内シミュレーションは、現在の状況でこれから行う行動の結果を予測する行動計画や意思決定、さらには架空の状態から行動や操作の結果を予測する思考や言語理解など、高次な認知機能の基盤となる仕組みです。実際、銅谷教授のグループは、人間が脳内シミュレーションを行う時の脳活動をMRI(核磁気共鳴画像装置)で計測し、頭頂葉を含む脳の回路が活動することをつきとめています(文献3)。研究チームはこれらのデータをさらに解析することで、行動の結果を予測する脳内シミュレーションの仕組みの全体像を明らかにすることを目指しています。

論文筆頭著者の船水章大研究員は、「脳内シミュレーションの神経機構を明らかにすることは、人はなぜ考えることができるのか、という脳科学の基本的な問題に迫るとともに、脳内シミュレーションの乱調をともなう統合失調症、うつ病、自閉症などの精神疾患の原因の究明にも貢献することが期待されます。また、このような脳の計算機構を工学的に応用することで、脳のように考えるロボットやプログラムの開発につながるでしょう」と、本研究成果が今後の応用研究に与えるインパクトに期待を示しています。

本研究は、脳の計算理論とデータ解析を得意とするOIST神経計算ユニットの銅谷賢治教授と、光学二光子顕微鏡による神経活動記録の先端技術を持つOIST光学ニューロイメージングユニットのベアン・クン准教授の協力のもとで、日本学術振興会特別研究員としてOISTに着任した船水章大研究員が新たな実験パラダイムを開発し実現しました。またこの研究は、銅谷教授が代表をつとめた文部科学省科学研究費新学術領域研究「予測と意思決定」(http://www.decisions.jp)により得られた代表的な成果のひとつです。さらに銅谷教授は、本年度から新学術領域研究「人工知能と脳科学」(http://www.brain-ai.jp)をスタートさせ、人工知能の理論や技術を使った脳機能の解明と、脳にならった人工知能の実現をめざしています。

 

参考文献 

1) Doya, K., Ishii, S., Pouget, A., Rao, R. P. N. (2007). Bayesian Brain: Probabilistic Approaches to Neural Coding, MIT Press.

2) 船水章大、 銅谷賢治 (2015). 予測:大脳新皮質のベイジアンフィルタ仮説. 生体の科学, 66, 33-37.

3) Fermin AS, Yoshida T, Yoshimoto J, Ito M, Tanaka SC, Doya K (2016). Model-based action planning involves cortico-cerebellar and basal ganglia networks. Scientific reports, 6, 31378.

 

用語解説 

※1 二光子顕微鏡

赤外線レーザーをピンポイントに収束させることで、生体内部の蛍光分子を発光させイメージングするための計測機器。マウスの大脳皮質では、表層だけでなくその深い層(第5層)まで異なる層の数百個の神経細胞の構造や活動を記録することが可能になる。

※2 カルシウムイメージング

遺伝子工学的手法を用いて、カルシウムと反応して蛍光を発するGCaMPなどの分子を特定の種類の神経細胞に発現させ、その活動をレーザー顕微鏡で計測する技術。神経細胞が活動すると細胞内にカルシウムが流入しで蛍光分子と反応するため、活動の強さを蛍光の変化として捉えることが出来る。

※3 脳情報デコーディング

計測した多数の神経細胞の活動から、その集団の表現する情報を読み取る手法。ラットの海馬の「場所細胞」がそれぞれどこで活動するか(コーディング)を調べ、複数の場所細胞の活動からラットの位置を推定するといった形で開発、応用が進められてきた。近年、機能的磁気共鳴画像(functional Magnetic Resonance Imaging: fMRI)で計測した人の脳活動から、その人の見ている画像を読み解く研究にも応用されている。

※4 頭頂葉

脊椎動物の大脳新皮質に存在する脳部位。視覚や聴覚といった感覚情報や運動情報を統合し、自分の周囲の空間情報の表現に関与していると考えられている。海馬には環境の中での自分の位置を表現する「場所細胞」があることが知られているが、頭頂葉と海馬は相互に連絡し合いそれらの表現を保持、更新していると考えられている。

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