顔のモーフィング技術が自己認識の境界に光を当てる

デジタル世界において、私たちの行動意識と自己認識がどのように影響し合うかを調査しました 。

Cybernetic Humanity morphing identities press release header image

顔の認識は、自己イメージや社会的交流において重要な役割を果たします。デジタル技術が高度に発達する中、コミュニケーションとアイデンティティに関する興味深い疑問が生じています。例えば、自らの顔のアイデンティティを変えると、「自己」の感覚や他者との交流にどのような影響があるのでしょうか? これらの問いに答えるために、沖縄科学技術大学院大学(OIST)に設置された「Cybernetic Humanity Studio」にて、笠原俊一博士が、顔画像のリアルタイムモーフィング技術(自分の顔を他人の顔に変えたり、逆に他人の顔を自分の顔に変えたりすること)を用いて研究を行っています。同スタジオは、OISTとソニーコンピュータサイエンス研究所(Sony CSL)の共同研究のプラットフォームとして2023年に設立されました。

笠原博士と共同研究チームは、運動と視覚の同期(自己の動きとそれに対する視覚的フィードバックの調整)を利用して、顔のアイデンティティを認識するプロセスや変化を調査しました。その結果、自分の顔の映像が自分の動きに同期して動いていても非同期であっても、自己の顔映像に対するアイデンティティ(自分が自分であるという認識)の度合は一定であることが分かりました。つまり、行為主体感(自分が自らの行動や決定の主体であるという感覚)は、自己の顔イメージに対するアイデンティティの度合には影響しないということです。この研究結果は、学術誌『Scientific Reports』に掲載されました。 

自己の感覚が、アイデンティティの認識に与える影響 

本研究では心理実験を行い、ディスプレイとカメラを使用して、「自己認識の境界」がどこにあるのか、そしてその境界に影響を与える要因を調査しました。被験者は椅子に座り、自分の顔が徐々に変化していく画面を見せられました。被験者は自分の顔のアイデンティティの変化に気づき、ある時点で、画面に映し出された顔がもはや自分ではないと感じたときにボタンを押します。実験は、映し出された顔が自分から他人に変化する場合と、他人から自分へと変化する場合の両方向で行われました。 

「鏡に映った自分の顔を動かしながら、自分であるということを確認しているようなものですが、その顔が徐々に変化し、ある時点になると、これはもはや自分ではないと感じるときが来ます」と笠原博士は説明します。 

研究チームは、三つの動作条件(同期、非同期、静止)が顔の自己認識の境界にどのような影響を与えるかを検証しました。顔の動きが同期していれば、被験者はより強く画像にアイデンティティを認識するだろうと仮定しました。しかし驚くことに、動作が同期しているか否かにかかわらず、顔の自己認識の境界にはほとんど変化がないことが分かりました。さらに、被験者は、自分の顔が動いている画像よりも、静止している自分の顔の画像に対してよりアイデンティティを認識する傾向が強いことも分かりました。 

さらに興味深いことに、モーフィングする方向(自分から他人、あるいは他人から自分)が、顔の自己認識の境界をどのように感じ取っているかに影響を与えていることも分かりました。被験者は、自分から他人へと顔がモーフィングするときよりも、他人から自分の顔へとモーフィングするときの方が、自身の顔だとアイデンティティを認識する傾向が見られたのです。これらの結果は、顔の動きに対する行為主体感の感覚が、自分の顔のアイデンティティ判断に大きな影響を与えないことを示唆しています。 

「人工知能を応用した画像や映像の合成・生成技術であるディープフェイクを例に考えてみましょう。ディープフェイクは本質的には非同期の動きの一形態です。自分は動いていないのに、視覚表現としての自分の映像が動いていることになり、自分の動きとの非同期の状況が生じます。このようなディープフェイクのシナリオでも、自分自身との同一性を感じることができます」と笠原博士は説明します。「これは、例えば、他者が自分の顔を使った偽物や加工された画像を見ても、その顔を自分自身と同一視してしまう可能性があることを示唆しています。私たちの研究結果は、デジタル時代における自己とアイデンティティの認識について、重要な疑問を提起しています。」 

笠原俊一博士の研究では、テクノロジーを用いて人の顔をリアルタイムで徐々に変化させ、自己認識と他者からの見られ方を調査し、アイデンティティを構成する要素をより深く理解しようとしている。
Cybernetic Humanity Studio

アイデンティティの認識は、行為主体性にどのような影響を与えるか? 

逆に、アイデンティティの感覚が、行為主体感(自分が行動や決定の主体であるという感覚)にどのような影響を与えるのでしょうか? 笠原博士はこのほど、行為主体性を専門とする立教大学現代心理学部の温文准教授と共同で論文を発表しました。本研究では、顔の特徴を通じて自分自身を認識することが、自分の動きに対する行為主体性にどのような影響を与えるかを調査しました。 

実験では、被験者は画面に映し出された自分の顔または他人の顔を観察し、顔や頭の動きを、被験者自身の顔の動きで操作・制御することができます。被験者は約20秒間、自分の顔を動かしたり、表情を変えたりしながら画面を観察しました。顔の動きは、自分の顔や頭の動きのみで制御する場合と、被験者と他者の動きの合成で制御する場合(完全制御と部分制御)を実施しました。その後、被験者には「どの程度、その顔が自分自身のように見えると感じたか?」および「どの程度、表示された顔を制御していると感じたか?」という質問がされました。

ここでも、興味深い発見が得られました。被験者は、「自分の顔」よりも、「自分以外の顔」に対して、高い行為主体感を報告しました。さらに、自分の顔を制御するときよりも、他人の顔を制御したときのほうが、顔の動きがより多様になりました。 

本研究では、顔の動きをブレンドするコンピュータープログラムを使用し、被験者は画面上の自分の顔または他人の顔を、様々なレベルで制御した。
Cybernetic Humanity Studio 

「今回、被験者に別の顔を与え、その顔の表情を制御できるようにしました。これは、AIによる顔の動きを別の顔に転送できるディープフェイク技術に似ています。このAI技術により、私たちは単に鏡で自分の表情を見るという従来の経験を超え、顔の動きと見た目のアイデンティティの関係を解明し、調査することが可能になりました」と笠原博士は言います。

「これまでの研究から、自分の顔を見ると、その顔に対してより強いコントロール感を感じるだろうと予想できるでしょう。逆に、自分の顔でない場合、他人の顔なのでコントロール感が弱まるだろうと考えるのが直感的な予想です。しかし、結果はその逆で、自分の顔を見ると、行為主体感が低く報告され、逆に他人の顔を見ると、より強い行為主体感を感じている傾向がみられたのです」この驚くべき結果は、自分自身を画像の中でどのように見ているかについての私たちの既成概念を覆すものです。 

笠原俊一博士はOISTのCybernetic Humanity Studioを訪れる人々と定期的に交流している
笠原俊一博士はOISTのCybernetic Humanity Studioを訪れる人々と定期的に交流し、サイバーフィジカルな人間同士の交流技術や実験を紹介している。
実験結果に驚き、楽しむ来訪者
Cybernetic Humanity Studioの顔変換技術による実験結果に驚き、楽しむ来訪者。

笠原博士は、技術が社会に受け入れられるかどうかが、技術の進歩と人類の進化において重要な役割を果たすと強調します。「技術と人類の進化の関係は循環的であり、私たちは共に進化していきます。しかし、特定のコンピュータ技術に対する懸念が制約を招くこともあります。私の目標は、技術が社会に受け入れられるよう支援することと、人とコンピュータの統合技術に関連する『自己』の理解をアップデートしていくことです。」

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