酸素が欠乏すると脳の記憶形成はどのように阻害されるるのか?
私たちが何か新しいことを学ぶとき、脳細胞(ニューロン)は互いに電気信号や化学信号を通じてコミュニケーションします。同じグループのニューロンが頻繁に連絡を取り合うと、ニューロン間の結びつきが強くなります。このプロセスは、私たちの脳が物事を学習し記憶するのに役立ち、「長期増強(LTP)」として知られています。
LTPのもう一つのタイプは、脳が一時的に酸素から遮断されたときに起こる「無酸素誘発性長期増強(aLTP)」です。脳卒中などで見られる記憶障害にaLTPが関与しているのではないかと考える科学者もいます。
沖縄科学技術大学院大学(OIST)の共同研究チームは、aLTPのプロセスを詳細に研究しました。その結果、aLTPの維持にはグルタミン酸というアミノ酸が必要であり、このアミノ酸が神経細胞と脳血管の両方で一酸化窒素(NO)産生を誘発することが判明しました。このプロセスは、グルタミン酸-一酸化窒素-グルタミン酸の正のフィードバック・ループを形成します。国際科学雑誌『iScience』に掲載された本研究は、aLTPが継続的に存在することで、脳卒中後に特定の患者に見られる記憶喪失を説明できる可能性があることを示しています。
低酸素に対する脳の反応
脳内の酸素が不足すると、神経伝達物質であるグルタミン酸がニューロンから大量に放出されます。このグルタミン酸の増加により、一酸化窒素が産生されます。ニューロンや血管で産生された一酸化窒素は、aLTPの間、ニューロンからのグルタミン酸放出を促進します。このグルタミン酸-一酸化窒素-グルタミン酸のループは、脳が十分な酸素を得た後も続きます。
「酸素欠乏が脳にどのような影響を及ぼし、どのようにしてこのような変化が起こるのかを知りたかったのです」と、OISTの旧細胞分子シナプス機能ユニットの研究者で、本研究の主執筆者のハンイン・ワン博士は話します。「一酸化窒素が酸素不足時の脳内グルタミン酸の放出に関与していることは知られていましたが、そのメカニズムは明らかではありませんでした。」
脳卒中では、脳が酸素不足になると、健忘(最近の記憶がなくなること)が症状の一つとなります。酸素欠乏が脳に及ぼす影響を調べることは、薬の開発が期待できるため重要です。OISTの知覚と行動の神経科学ユニットの研究者で、細胞分子シナプス機能ユニットの元メンバーであるパトリック・ストーニー博士は、「酸素がないときに神経細胞で何が起こっているかを解明できれば、脳卒中治療の方向性が見えてくるかもしれません」と説明します。
マウスの脳組織を、生きた脳の自然環境を模倣した生理食塩水に入れました。通常、この溶液は脳組織の高い酸素需要を満たすために酸素が添加されます。しかし、酸素を窒素に置き換えることで、一定時間、細胞から酸素を奪うことができます。
その後、個々の細胞の電気的活動を記録するために電極を取り付けました。生きたマウスの神経活動を誘発するのと同様な方法で細胞を刺激しました。
記憶と学習活動の停止
研究チームは、aLTPの維持には、神経細胞と脳の血管の両方における一酸化窒素の産生が必要であることを発見しました。OISTの光学ニューロイメージングユニットの共同研究者らは、神経細胞と血管に加えて、aLTPには脳細胞のもう一つのタイプである「アストロサイト」の活動も必要であることを示しました。アストロサイトは、神経細胞と血管壁細胞の両方に枝を伸ばして、両者のコミュニケーションをサポートしています。
「aLTPの長期維持には、一酸化窒素の継続的な合成が必要であることが分かりました。NO合成は、グルタミン酸が受容体を活性化して行われますがそのための分子メカニズムやNOによるグルタミン酸放出の分子メカニズムをブロックすると、最終的にNO-グルタミン酸ループが破綻して、aLTPが停止します」と、OISTの細胞分子シナプス機能ユニットを以前、率いていた高橋智幸教授は説明します。
注目すべきは、aLTPを支える細胞の過程は、記憶の強化や学習を支えるLTPの過程と、部分的に重複している点です。aLTPが存在すると、LTPに必要な分子活動が乗っ取られ、aLTPを除去すると、学習と記憶に関連するLTPが助けられます。このことは、長時間持続するaLTPが記憶形成を阻害している可能性を示唆しており、短時間の脳卒中後に生じる記憶喪失の説明にもなりそうです。
高橋教授は、脳への酸素供給が一時的に不足すると、グルタミン酸塩と一酸化窒素の間に正のフィードバック・ループが形成されることが、本研究で得られた重要な知見だと強調します。この発見は、長時間持続するaLTPを説明するものであり、虚血後に生じるよる記憶喪失の回復治療に役立つもしれません。
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