有害な環境を回避する:線虫が教えてくれること
動物は、周りの環境で何が起こっているかを感知することができなければ、生き残ることができません。ある動物は優れた視力を、またある動物は鋭い嗅覚または聴覚をもっており、これらの感覚を用いて、食べ物や交尾の相手を探し当てたり、毒や捕食者を回避しています。小さな線虫C. elegans は、嗅覚や味覚などと同様の感覚ニューロンをもち、これによってさまざまな環境条件を感知します。線虫は、感覚器官や行動が単純であり、動物の周囲環境に対する行動を遺伝子レベルで研究する上で理想的な生物です。丸山一郎教授が率いるOIST情報処理生物学ユニットの研究グループはこのほど、C. elegans を用いた研究で、この線虫が高アルカリ性(pH)環境を感知する機構を明らかにしました。
この論文は、Neuroscience Letters の編集者らによって優秀論文(Plenary Article)に選ばれ、編集主幹のStephen Waxman 博士から「極めて称賛に値する研究」との賛辞を受けました。同博士によると、編集者たちが本論文を推薦した理由として、「複数の外部有識者がこの研究について、線虫の感覚システムが高アルカリ性(pH)環境を忌避すべき刺激として感知することを裏付ける興味深い実験の積み重ねであることを挙げている」と、述べています。
高pHまたは低pHは、生物に害を及ぼす可能性があります。このため、pHは、生物が感知すべき重要な環境条件のひとつです。pHが低いことは酸性であることを、pHが高いことはアルカリ性であることを示しています。pHが低過ぎるか、または高過ぎる物質は、極端な場合、組織の大きな損傷を引き起こし、生物に死をもたらす可能性があります。わずかな変動によっても生体に害が及ぶことがあり、ヒトでは、血中pHのわずか0.2 pH単位の差が深刻な健康被害の要因となり得ます。通常、生体のpH感知能力によって、深刻な事態に陥ることは避けられますが、このような感知機構または生体の反応に異常がある場合には、重篤な結果を招く危険があります。
研究チームは、微小な線虫C. elegansが単純な感覚システムによって環境のアルカリ度(高pH)を感知することを利用し、この線虫を用いて研究を行っています。同グループは、過去の論文において、この線虫が弱アルカリ性の環境を好むことを明らかにしました。今回の研究では、C. elegans が実験的に設定した 高アルカリ環境を回避することを示し、この線虫はpHが非常に高い環境を嫌うことを実証しました。また、特定の感覚ニューロンをレーザーで破壊すると、高pHを回避する行動がみられないことから、高pHの感知に関与するASH感覚ニューロンを同定しました。さらに一歩進めて、カルシウムチャネルを形成するタンパク質のいくつかが高アルカリ性に対する反応に関与していることも突き止めました。C. elegansを用いる大きな利点の一つを利用し、生きている線虫体内で刺激に反応して起こる、ニューロンでのカルシウムの流入を視覚化することに成功したのです。カルシウムチャネルの2種類のタンパク質を変異させた個体では、このニューロンは活性化しませんでした。
この研究グループの次の目標は、アルカリ環境に対する反応に関与する他の重要な遺伝子を明らかにすることです。論文の筆頭著者である佐々壽浩技術員および第2著者である村山孝研究員は、「高pHを忌避する行動につながる分子メカニズムを明らかにするため、カルシウムチャネルの下流シグナル伝達に関わる他の遺伝子を同定したいと考えています」と語っています。アルカリ環境の感知は最初の一歩にすぎず、線虫は速やかに刺激に反応し、その場から逃れなければなりません。同グループは、高pHを感知した後に起こる忌避行動を調節する遺伝子および神経回路網を解明しようとしています。こうした複雑な神経システムを線虫のような単純な動物を用いて研究することは、ヒトにおけるより複雑なシステムを理解するために役立っています。フリードリッヒ・ニーチェは「あなたがた人間は虫から進化してきたが、あなたがたの体中の多くのものは、まだ虫のままである」と語っていますが、どうやらニーチェの理解は正しかったようです。
Neuroscience Lettersに掲載された優秀論文(Plenary Article)は、以下のウェブサイトでお読みいただけます。
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0304394013005338
(エステス キャスリーン)