次世代へのバトン
2013年1月25日に、ノーベル化学賞受賞者で理化学研究所の理事長を務める野依良治博士がOISTで講演を行い、会場にはOISTの教職員・学生だけでなく、地元からも一般の方々、高校生や先生方、また沖縄県の職員の皆さまなど、多くの聴衆が集まりました。野依博士は、科学、芸術、哲学について、ご自身のエピソードにユーモアを交えてお話しになり、化学者としての秀でた才能を、炭素化合物や触媒の研究においてのみならず、話し手としても発揮され、1時間半に及ぶ講演の最後まで聴衆を魅了しました。本講演は、OISTが2012年2月より継続的に開催しているコロキアムという幅広い分野から講師をお招きし開催する一般向けの講演シリーズの第6回目となり、「新時代の科学、技術を担う若者たちへ」と題して行われました。
「年長世代の言うことに耳を傾け過ぎず、自分なりの方法を見つけることが大切です」と、74歳になる野依博士は会場の若者たちに語りかけ、「皆さんのような若い世代にバトンを渡すべきだと思っています」と話されました。また、OISTの学生との懇談に際しては、「OISTには日本の従来の大学とは異なる自由な環境があります。リスクを恐れず、自分自身で考え、この環境を最大限に活用するべきです。科学で革新をもたらすということは、型にはまらず立ち向かうと言うことです」と述べ、学生を激励されました。
野依博士は、キラル触媒による不斉反応の研究により、2001年にノーベル化学賞を受賞されました。この基礎研究が、その後、抗生物質、抗炎症薬や心臓病の薬の合成に欠かせない技術に応用されることになります。日本人として初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士と旧知の仲にあった化学技術者を父に持つ野依博士は、幼い頃より科学に興味を持ったと言います。1951年に父親に連れられて東洋レーヨン(現・東レ)の製品発表会に足を運んだ野依博士は、化学反応によって素晴らしい物が生み出されることを知り感動したそうです。このことがきっかけで、化学を利用して世に役立つ製品を生み、戦後の経済混乱から日本が復興するための力となることが自分の使命だと感じたと野依博士は語りました。2001年のノーベル賞受賞時点での論文発表数は400を超え、特許出願数は160以上、加えて数々の賞を受賞されてきた野依博士の功績を見ても、同博士が幼少時代の夢を叶えられたことは明白です。
野依博士は講演のなかで、将来を担う科学者に必要なのは、国際的、社会的及び経済的責任を果す学際的な研究を行うことであると強調したうえで、OISTで構築されている環境はまさにそれにあたると語りました。21世紀の科学に対する同博士の見解は本講演のテーマと言えます。また、野依博士はご自身の研究者としての経験を話した上で、ハイデッガーやソクラテスといった哲学者や、ゴーギャンやピカソなどの画家の思想にも触れ、「日本のノーベル賞受賞者の多くは、文理両道です」と述べました。「科学と芸術のつながりはとても重要です。」
さらに野依博士は、「日本の偉大な科学者の多くは海外で研究経験を積んでいます」と付け加えました。ご自身も昔、ポスドク研究員として米国ハーバード大学のイライアス・ジェイムズ・コーリー博士のもとで研究を行った経験があります。2001年のノーベル賞を共同受賞したカール・バリー・シャープレス博士に出会ったのはちょうどこの時でした。野依博士は講演の最後に、水やエネルギー、農業、生物多様性、貧困といった国際社会の最優先課題の解決及び「全人類の生存に貢献する」科学技術が求められていると力強く語られました。
講演後、野依博士はインタビューに応じ、OISTについて「典型的な日本の大学とは異なる」と印象を述べたうえで、「OISTが今後も日本の伝統文化を尊重し、受け入れながらも、日本の教育制度をより国際的で学際的なものへと変革する起爆剤となることを期待しています」と語ってくださいました。