OISTのパイオニア、ロバート・バックマン博士が退任へ

OIST創生期から長年にわたりOISTを牽引してきたロバート・バックマン博士が、今月末に退職されることとなりました。

沖縄科学技術大学院大学(OIST)が創立10周年を迎えた2021年末、長年にわたりOISTを牽引してきた一人で、OISTの発展に多大な影響を与えてきたロバート・バックマン博士が、退職されることとなりました。

バックマン博士がOISTと接点を持ったのは、今から10年半以上前に遡ります。当時、科学技術政策担当大臣だった尾身幸次氏と、元東京大学総長で元文部大臣、後に沖縄科学技術研究基盤整備機構(OIST P.C.、大学の前身)の理事会副議長を務めた有馬朗人博士が、沖縄に世界を牽引する国際的な大学を設立するため政策立案に奔走していた頃、同機構の創設者であるシドニー・ブレナー博士が、機構の創設メンバーに加わる人員を探していました。その中でハーバード大学や米国国立衛生研究所において世界をリードする学術およびマネジメント経験を持つバックマン博士が候補者に上がったのは自然な流れでした。

その後バックマン博士は、2005年に、日本政府が大学認可取得のための基盤を構築するために設立した沖縄科学技術研究基盤整備機構の非常勤顧問を務め、2007年に常勤として同機構の副理事に就任しました。

バックマン博士は、まさにOISTの先駆者の一人でした。OISTの設立が、前例のない構想としてまだリスクを伴う頃に、創設者に加わり、共に尽力しました。在籍中に博士が行ってきた貢献は数多く、多岐にわたり、また深いものでした。代表的なものとして、メインキャンパスの共通研究施設などの運用を行う研究支援ディビジョンの稼働、沖縄科学技術研究基盤整備機構の教員の雇用調整、日本初のAAALAC認証を受けた動物実験施設の設立、世界レベルの科学計算センターの設置、研究ユニットに対する5年毎の外部審査手続きの導入、認定申請の調整などがあります。また、『新大学院大学の青写真』や学校法人沖縄科学技術大学院大学学園理事会の寄附行為の作成にも携わりました。

2011年に、沖縄科学技術大学院大学学園および沖縄科学技術大学院大学が認可された後は、プロボスト兼副理事長を務めました。その後、2014年には、大学の技術移転を成功に導くことが重要であるということに目を向けました。首席副学長として、技術開発イノベーションセンター(TDIC)を設立しました。 TDICは、「沖縄の自立的発展に貢献するというOISTのミッションを遂行するために、研究室で生まれる発見を見出し、保護し、商業化することを包括的に支援する完全な総合施設である」と説明しています。バックマン博士は、TDICが今後数年、数世代のうちに沖縄と日本のイノベーション・エコシステムに完全な経済効果を与えるというビジョンを持って、この強固な基盤を築いたのです。バックマン博士の軌跡は私たちの周りの至る所にみられ、これからもずっと残されていくことでしょう。

10周年を迎え、未来に目を向けるにあたり、OISTの歴史をバックマン博士のリーダーシップと影響力なしに語ることはできません。バックマン博士は、OISTの理事会メンバーの中で最も長い期間に渡って任務を果たし、現在は、大学の前身である沖縄科学技術研究基盤整備機構の元役員の中で唯一理事会に残っている人物でもあります。バックマン博士の退任によって、創設者たちの時代が幕を下ろすことになります。

バックマン博士は、定期的にOISTを訪れていた妻の英美夫人と、その道のりと業績を分かち合ってきました。英美夫人は、人と人をつなぐ橋渡し役として知られていました。学生や教職員などの同僚を集めて食事会を行い、頻繁に親睦を深めました。また、地域社会に対しても積極的に関わりを持ちました。恩納村の小中学生とOIST関係者が共に参加する科学プログラムである「恩納村・OISTこどもかがくきょうしつ」の設立の中心的存在として関わりました。さらに、OISTに芸術・音楽・文化と触れ合う機会を作ることに常に関心を持っており、それは現在も続いています。

2007年に行ったスピーチの中で、最後に、バックマン博士は次のように述べています。「私はとても冒険が好き、ということを申し上げておきます。OIST は素晴らしい冒険となるでしょう。本日ここにこうして皆様と同じ会場にいられることを幸せに思います。」

今回、本記事のためのインタビューにおいて、その後の冒険はどうったかと尋ねたところ、「想像以上に素晴らしい冒険でした。この冒険は現在も、そして未来にも続いていきます!」と語りました。

バックマン博士は、今月で退任後も、2022年5月末までOISTに残り、10周年記念イベントを支えます。

2007年の沖縄科学技術研究基盤整備機構発足2周年記念式典にて沖縄・北方対策担当岸田文雄大臣(当時)と並ぶバックマン博士と英美夫人。

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