脳内道路規制:シナプス内の交通整理

脳細胞の内部で、伝達物質は「細胞自動車」につみこまれて運ばれます。OISTの研究者たちは、哺乳動物シナプス内部の「自動車」の走行に影響を与えるメカニズムを明らかにしました。

   神経細胞間の接点として有名な「シナプス」における情報伝達メカニズムは良く知られていますが、神経細胞の末端、つまりシナプス前末端、その内における情報輸送のしくみは、海図にない水域のような未知の領域です。シナプス前末端において、情報伝達を担う伝達物質は、シナプス小胞と呼ばれる泡状の袋につめこまれて、交通網を走りぬける自動車のように目的地に輸送されます。そこでは小胞とシナプス前末端の膜が融合して、乗客に当たる伝達物質を神経細胞間の隙間に放出します。しかし、シナプス前末端内で小胞が実際、どのように動くかについてはよく分かっていません。

   沖縄科学技術大学院大学(OIST)の研究者たちは、小胞の輸送が損なわれて、伝達物質を運べなくなることが神経疾患の原因になるかもしれないと考え、小胞輸送の研究を行いました。この研究成果はeLifeに発表され、シナプス前末端内の小胞の動きは、シナプスの種類とサイズ、および小胞を形成する分子によって異なることを明らかにしました。

   「小胞はシナプス前末端内をどのように動き回り、その軌跡はどうなっているのか?いかなる要素によって小胞の運動がコントロールされ、過去に報告されている、シナプスの種類ごとに異なる小胞の可動性はどのように説明されるのだろうか」と、この論文の著者ローラン・ギヨー博士らは疑問を抱きました。 

 

左)哺乳動物脳幹聴覚野組織から培養形成された巨大シナプスの模式図。大型のシナプス前末端(緑)が後シナプス細胞(青)を包み込んでいる。比較のために、通常の前末端(紫)を示している、右)シナプス小胞サイクル模式図。小胞の末端膜との融合、末端膜からの回収、前末端内の小胞の分布と運動を示す。

   従来、シナプス小胞は前末端内を、単純拡散に従って、専らランダムに動いていると考えられていました。しかし、高橋智幸教授が率いる細胞分子シナプス機能ユニットのギヨー博士らの研究の結果、小胞の動態は、はるかに複雑であることが判明しました。シナプス前末端内での小胞輸送を正確に観察するため、研究者たちは超大型のシナプスを用いました。このシナプスは、同グループが培養下での形成に成功したもので、昨年の北米神経科学学会誌ジャーナル・オブ・ニューロサイエンスに報告されています。

   「通常のシナプスは小ボタン型で、サイズが1-2ミクロン(100万分の1メートル)程度のため、シナプス前末端内部の狭い空間内で小胞の動きを観察することが困難です」と、ギヨー博士は説明します。「そこで我々は巨大シナプスを用いました。この巨大シナプスは、もともと脳幹の聴覚経路で見つけられたもので、サイズは通常のシナプスの約20倍です。このシナプスを培養皿の上に再形成して、実時間イメージングを行うことが出来るようになりました。」

   巨大シナプス内の小胞は普通のシナプスの小胞と同じサイズですが、巨大シナプス前末端内では、個々の小胞の移動軌跡を追跡することが、ずっと容易です。難しいのはこれらの小胞をどうやって効率良く標識し、その動きを捉えるかの点です。OISTの研究者たちは小胞に発現するタンパク質に特異的に結合する抗体に、quantum (Q) dotと呼ばれるナノ粒子または、特異的条件下で発光するpH感受性色素のような蛍光標識をリンクさせて、この問題を解決しました。小胞がシナプス前末端の細胞膜に融合して伝達物質が放出される際に、上記の抗体が空の小胞に入り、小胞内のタンパク質に結合します。小胞は末端膜から回収されて切離され、蛍光標識抗体を取り込んだ小胞はシナプス前末端内で輸送されます。そこで、シナプス前末端内での小胞の移動経路を共焦点顕微鏡を使って、蛍光モニターし、実時間測定します。

 

   多数の小胞の動きを同時に追跡するアルゴリズムを用いて、研究者たちは小胞の動きが完全にランダムというわけではないことを見出しました。シナプス前末端内部で、小胞は、異なる速度で、異なる輸送距離を、異なる方向に向かって動いていますが、多数の小胞が伝達物質をつみこんで「公共バス」のように特定の目標に向かって能動的に動いています。

 

GFP標識されたシナプス前末端の上部でのQ dot標識小胞の共焦点実時間測光。下左:軌跡の長さで色分けした小胞の移動経路。右:シナプス小胞の移動速度と移動距離の関係(青、2 ミクロン以下、緑2-4ミクロン、赤、4ミクロン以上)。

   小胞イメージング技術を巨大シナプスで固めた後、OISTの研究者たち巨大シナプスでの小胞の動きを小型のシナプスと比較しました。その結果、シナプスのサイズが小胞の移動方向と移動速度に直接影響することが分かりました。ギヨー博士は更に「近年、流体力学的相互作用、分子密度、分子間衝突というような物理学的要素が小胞の可動性に影響すると報告されていますが、生物学的要素が小胞の動態に影響するというデータは、ほとんど見当たりません。ここで明らかになったことは、シナプスの種類、構造、形態が小胞の可動性に影響を与える重要な要素だということです」。更に、意外な結果として、小胞の構成要素が可動性に影響を与えることが明らかになりました。「小胞を構成するタンパク質の種類によって小胞の可動性が影響を受けます」とギヨー博士は続けます。「しかし、機能的な観点から行った実験では、シナプスの活動が小胞の輸送に影響を与えるという結果は得られていません」。

   公共交通システムは、自動車が交通渋滞に巻き込まれるとマヒします。同様に、前シナプス末端の小胞が伝達物質を輸送出来なくなると神経疾患が引き起こされる可能性があります。したがって、小胞輸送能力を明らかにすることによって、神経疾患の原因につながる重要な手がかりが得られるかもしれません。

   「神経変性疾患においては、しばしば、シナプスを介する情報伝達が損なわれることが問題になります。これは伝達物質の放出が損なわれることによる可能性がありますが、シナプス前末端内の小胞の動きが何らかの原因で損なわれている可能性もあります。」ギヨー博士は最後に、「神経疾患に罹患したシナプス内で、小胞が正常に動くかどうかを調べることは特に興味深く、もし、小胞の動きが損なわれていれば、どうやって交通渋滞を解消出来るかを知りたいところです。しかし、まず、シナプスの形態と小胞の分子指紋と小胞の動態がどのように関わるかを明らかにすることが先決課題です」と、今後の抱負を述べました。

 

写真左から、ディミタル・ディミトロフ技術員、高橋智幸教授、ローラン・ギヨー研究員

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