“スーパークール”な電子
量子コンピュータの将来像については、専門家はもちろん、多くの企業や政府機関の間で注目の話題となっています。従来の二進法の「1」と「0」の「ビット」でデータをトランジスタやメモリ内で演算・保存する代わりに、量子コンピュータの世界では、原子、イオンまたは電子などの系を「量子ビット」として用い、 1と0を同時にとる(重ね合わせ)状態も含む無限の組み合わせで演算します。Google、マイクロソフト、Intel、IBMなどの大手テクノロジー企業では量子コンピュータや量子テクノロジーの実現を目ざし、関連する研究プロジェクトに多額の投資をしています。同時に世界各国の大学・研究機関でも、量子コンピュータに導入できる新しい量子システムに関する研究を行っています。沖縄科学技術大学院大学(OIST)の量子ダイナミクスユニットでは、この度、液体ヘリウム表面に浮かぶ電子に関して新しい発見をしました。この発見は液体ヘリウム上の電子が量子コンピュータ実現のための新たな候補であることを示唆しています。研究成果はPhysical Review Bに掲載されました。
固体を用いた量子コンピュータの研究での問題の一つに、材料内の欠陥や不純物が個々の量子ビットの機能にランダムに影響を与えるため、完全に同一の量子ビットを作り出すことが非常に困難であることがあります。量子ダイナミクスユニットを率いるデニス・コンスタンチノフ准教授は以下のように説明しています。「私たちが液体ヘリウムシステムの研究に取り組んでいる理由は、液体ヘリウムの系が純粋で欠陥がなく、 完全に同一の量子ビットを作り出すことが理論上可能だからです。さらに、他のシステムでは困難でほとんど不可能ともいえる、電子の移動が、液体ヘリウムを用いた系では可能とすることができるからです。」このように、量子コンピュータの研究にこのシステムを活用することで、量子コンピュータの研究分野全体を新たなレベルへ引き上げることが可能になるかもしれません。
液体ヘリウム表面上の電子を量子コンピュータに活用するには、ヘリウム表面上の個々の電子を隔離することと、電子の動きやスピンといった量子的自由度をコントロールする必要があります。また別の場所に電子を動かす必要がある場合もあるため、電子とヘリウム表面の間の相互作用の物理を理解することも重要となります。ヘリウム上の電子は2次元(2D)の結晶を形成することが可能であり、またこの結晶がヘリウム表面に沿って移動する際、電子と表面波の間の相互作用により特有の現象が起きることはこれより前に既に発見されていました。しかし、この度OISTの研究者らは、これらの現象が電子結晶の大きさによりどのように左右されるのかを世界で初めて探求しました。この目的のため、アレクサンドロ・バドルトディノフ博士、オレキサンダー・スモロディン博士、OIST博士課程学生のレイイン・リンさんらは、比較的少数の電子からなる二次元電子結晶をひとつだけ隔離するため、電子トラップが組み込まれた超小型のチャネルを持つデバイスを作成しました。このデバイスの電極の一つに交流電圧を印加することで電子結晶を液体ヘリウム表面上で移動させます。この電子の動きが鏡像効果でもう一つの電極に電流を誘起するため、その電流を市販の電流増幅器とロックイン検出器を用いて測定することで検知できます。
量子ダイナミクスユニットの元メンバーで、論文の筆頭著者であるアレクサンドロ・バドルトディノフ博士は以下のように説明しています。「この研究で、ヘリウム表面と電子との間の相互作用の物理に関する知見が得られたと同時に、私達の微細加工技術を拡張することも出来ました。今回、微細加工技術を応用して数マイクロというスケールで電子をマイクロチャネルの中に封じ込めることに成功しました。この技術を用いて、液体ヘリウム表面上の微細な2D電子結晶の挙動を研究し、数100万から数10億の電子からなるような大型の結晶と、たった数千の電子からなる小さい結晶の間には、理論的に相違が存在するはずであっても、違いはないということが確認できました。」
今回の研究はOISTにおいて、量子コンピュータ処理に本システムを活用するための初めの一歩となります。コンスタンチノフ教授によると、「次のステップは、さらに小さな電子結晶を隔離すること、そして最終的には、単独の電子を隔離して移動させることです。本システムは他のシステムとは違い、可動性のある量子ビットを用いたクリーンかつ集積可能な系になり得えます。」理論上はこれらの量子系は量子コンピュータの世界に革命を起こす可能性を秘めています。
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