細胞膜上の分子がバレエの群舞のように見えてきた
共同プレスリリース
概要
- 1蛍光分子の感度で、かつ、究極の速度で(もちろん世界最速)撮像できるカメラを開発
- 研究グループが提唱してきた細胞膜のモデル、「緩やかなパーティションがついた液体」を証明
- ガン細胞の転移を担う「接着斑」の微細構造とそこでの分子の群舞を解明
京都大学アイセムスの藤原敬宏特定准教授、沖縄科学技術大学院大学(OIST)の楠見明弘教授(京都大学名誉教授・客員教授)、株式会社フォトロンの竹内信司氏らの研究グループは、蛍光分子の1個の感度をもち、究極の速度で撮像が可能な顕微鏡用カメラを開発しました。その撮像速度は、1秒間に3万コマ(ビデオ速度の1,000倍)に達しています(論文1)。
細胞内の分子は、高速で動いたり、集まったり、離れたりというようにバレエの群舞のような動きをしていると想像されています。しかし、普通のビデオだと、動きが速すぎて、多くの現象を見逃してきたものと思われます。このような分子の群舞を観察するため、研究グループは新しい超高速・超高感度カメラの開発に乗りだし、10年の努力の結果、開発に成功しました。 その結果、細胞膜分子が動き回る様子が見えるようになりました。従来、細胞膜の分子はバレエ劇場の舞台(細胞膜全体)のようなところで乱雑に動き回っていると思われてきましたが、よく見えるようになると、実は舞台がパーティションで仕切られていて、分子はパーティションの中では速く動きつつ、ときどき隣のパーティションに移動するというような振る舞いをすることが分かりました(論文1)。
また、2014年のノーベル化学賞を受賞した超解像蛍光顕微鏡法という方法があるのですが、それには重大な欠陥がありました。1枚の画像を撮影するのに5分以上もかかっていたのです。本カメラの開発により、撮像時間が10秒程度に短縮できました。これによって初めて、細胞内の構造が、生きている細胞の中で、超解像の精度で見えるようになりました。 細胞膜には、細胞の足である「接着斑」という構造が存在し、ガン細胞の転移などに関わっています。この超解像画像が刻々と変化する様子と、そこでの分子の群舞の様子も、本カメラの開発の結果分かってきました(論文2)。これらは極めて重要な結果ですので、長い論文を掲載してくれる雑誌を選択し、さらに2報を連報にして出すという離れ業にも成功しました。 本成果は、The Journal of Cell Biology誌で、2報同時に発表されました。
背景
細胞の働き方を理解しようとするとき、もっとも有用な方法の一つは、細胞の中での分子の群舞を、1個ずつの感度で観察・撮像することです。ちょうど、バレエの群舞を劇場で見るのと同じような感覚です。このために、研究者は、自分の見たい分子に蛍光分子をくっつけることで、蛍光を目印に分子の群舞を見ようとしてきました。 一方、従来、細胞内での分子の群舞を観察するためには、通常のビデオ(1秒間に30コマ)が使われてきました。しかし、100m走、競馬、サッカーのゴールシーンなどで分かるように、ビデオ速度では速度が足りない現象は我々の日常にも多数存在します。細胞内の分子の群舞も、高速で動いたり、集まったり、離れたりというような動きをしていると想像されてきました。しかし、普通のビデオだと、一見、1分子毎の動きが見えているようですが、動きが速すぎて、多くの現象を見逃してきたことは確実です。
2. 研究内容と成果
論文1
このような細胞内の分子(バレリーナ)の群舞を観察するため、研究チームは新しい超高速・超高感度カメラの開発に乗りだし、10年の努力の結果、その開発に成功しました。そのための基本的なアイデアは、全くコロンブスの卵と言ってもいいものです。他の研究チームは、1蛍光分子感度での撮像のため、撮像速度は遅いけれど、ノイズをあまり発生させないカメラを使ってきました。本研究チームは、それを逆転し、撮像速度がはるかに速いけれどノイズが大きいカメラを用い、そのノイズが1分子の検出に影響を与えないように工夫したのです。
撮像速度は、1秒間に3万コマ(ビデオ速度の1,000倍)に達しています。この速度は、実は、カメラの限界ではなく、現存する蛍光分子が光を発する速度によって決まってしまっています。そういう意味で「究極の速度」です。蛍光分子がさらに速く光子を発するような改善がなされた場合には、1秒間に11万コマまでの対応が可能です。
その結果、細胞膜分子の群舞が精度よく見えるようになりました。従来、細胞膜の分子は劇場の舞台全体で乱雑に動き回っていると思われてきました。しかし、各々のバレリーナがよく見えるようになると、実は舞台自体がマンダラのように仕切られていて、バレリーナは各区画の中で激しく動き回りつつ、ときどき隣の区画に移動するというような動きをしていることが分かってきました(図1)。曼荼羅涅槃図では各マンダラ区画に異なる菩薩さまや仏様がおられて役割分担をしておられるように、細胞膜では、区画があることで、細胞膜の各所で違う機能をもつことが分かってきました。これは細胞膜の働きに重要であると考えられます。
論文2
一方、1分子感度を持たない通常の蛍光顕微鏡は、臨床診断や医学・薬学・生物学の研究に広く使われています。しかし、空間的な分解能は1ミクロンの1/5程度で、細胞内の構造には、あまりよく見えないものが沢山有ります。2014年のノーベル化学賞の対象となった超解像蛍光顕微鏡PALM法 (エリック・ベツィック博士)により、分解能が10倍程度改善され、1ミクロンの1/50位となりました。この方法では、細胞の中にある蛍光分子を1個ずつ見つけて、その分子が存在する場所に対応した点を画面上に打っていきます。全ての蛍光分子について点を打つと、その蛍光分子の分布が画像として現れます。新印象派のジョルジュ・スーラは点描法で絵を描きましたが、まさにそれを、1分子毎に行うような方法です。ただ、この方法の困った問題は、点を打つのに時間がかかるということです。そのため、生きた細胞を見ることはできず、固定した細胞を用いて、5〜10分かけてやっと1枚の画像を作っていました。
本カメラの開発により、撮像時間が10秒程度にまで短縮できました。スーラが、いつもの50倍の速度で点を打っている様子を想像してください。細胞膜上には、細胞の足である「接着斑」という構造が存在します。ガン細胞の転移なども担う構造体で、医学的にも重要な細胞膜上の構造です。この接着斑を作る様々な分子の集まり方と動き方を、本カメラを用いて1分子精度で観察し、従来の常識を全く覆す重要な結果を得ました。図2では、接着斑の主要な構成タンパク質であるパキシリンを蛍光標識して、通常の蛍光顕微鏡で見た画像(上)と、10秒間で撮影した超解像PALM画像(下)で示しています。
通常画像では、接着斑は、大陸のように見えています。しかし、超解像PALM画像では、接着斑は大陸ではなく、多数の小島が集合した群島構造を取っていることが分かります。
さらに超高速点描法によって、超解像スーラは、一枚の絵を描くだけでなく、動いているものを、点描法のムービー(各フレームが点描法で描かれる)として捉えることができるようになりました。すなわち、初めて、生きている細胞にある様々な構造体の変化が、超解像の精度で見えるようになりました。下の図3では、接着斑にある小島(ここでもパキシリンを見ています)が、1分間のうちに大きく変化する様子を示します。この様子から、小島は単体で働くのではなく、近くにある小島が一つの単位(下段の図の円の一つずつが機能ユニットです)として働く様子が見えてきました。これらは、ガン細胞の体内での移動や浸潤の機構の一部を成すもので、これらが見えることで、ガン細胞の転移を阻止する薬剤の開発の一助となることが期待されます。
論文1 + 2
接着斑が小島の集合体だとすると、小島の隙間には液体状の細胞膜があるはずです。その細胞膜も、区画に区切られているでしょうか? それを調べた結果、やはり仕切りがあること、接着斑に関係ない分子も、小島の隙間の液体細胞膜にはかなり自由に出入りしており、接着斑の外でも中でもホップ拡散していることが分かってきました(図4左)。
これらの知見をあわせて、接着斑の構造が分かってきました。接着斑の中では構成タンパク質は大陸のようにべたっとミクロンスケールで集合しているのではなく、ナノメートルサイズの小島を作っていて、それらが群島のように集まって接着斑を作っています。小島は直径320nmくらいの小さい集合体を作っており、この集合体が一つの機能ユニットです。これらの機能ユニットが多数集まって接着斑を形成しています。
このように、新たな方法を開発することによって、今まで想像されていたのとは全く異なる接着斑の微細構造が明らかになりました。
今後の展開
(1) 開発された超高速1分子カメラは、様々な細胞膜分子(バレリーナ)の群舞の観察に大きな威力を発揮します。そのため、多くの研究室で使われて、細胞膜の構造と、そこでの受容体や細胞のシグナルなどの研究の進展に大きく寄与することが期待されます。
(2) 超解像PALM法は、今まで固定細胞にのみ使われてきましたが、本研究で開発した超高速スーラ技術により、生細胞中での微細構造の解明に重要な寄与をすることが期待されます。
(3) 通常の1分子観察でも、超解像PALMでも、本カメラの能力は1/10程度しか使われていません。現存する蛍光色素の限界でスピードが限られているからです。本カメラの開発により、さらに高速で光子を放出する蛍光色素の開発が進み、それによって、今の10倍以上の高速化が図られるものと期待しています。
(4) 私たち自身は、この超高速1分子法を用いて、細胞膜分子のシグナル機構、マンダラ区画の各区画の特徴(どのような菩薩さまと仏様がおられて、どのような群舞をしておられるか)などを解明していく予定です。
(5) 細胞の足である接着斑については、ガン細胞の転移や増殖を担うことが分かってきており、この研究をさらに進めます。
用語解説
*1 高速カメラ
科学研究向けに開発された sCMOS (scientific CMOS) カメラは、感度は高いものの、コマ速度が遅く、実用的な画像サイズでの撮影は毎秒数100コマ程度に限られている。1分子が機能する様子を見るためには、毎秒数万コマの撮影が可能なカメラが必要だが、この種の高速カメラは感度が低く1分子の挙動は見えなかった。本研究で、この問題を解決した。
研究プロジェクトについて
本研究は、日本学術振興会 (JSPS) 科学研究費補助金 (課題番号 16H04775、16H06386、18H02401、18H04671、20H02585、21H02424、21H04772、18K19001、22K19334、21H05252)、及び、科学技術振興機構 (JST) 先端計測分析技術・機器開発プログラム (課題番号 JPMJSN10A2)、戦略的創造研究推進事業 CREST (課題番号 JPMJCR14W2、JPMJCR18H2) の支援を受けて行われました。
論文タイトル・著者
“Development of ultrafast camera-based single fluorescent-molecule imaging for cell biology” (超高速カメラの開発による細胞生物学研究のための超高速1蛍光分子イメージング法) 著者:Takahiro K. Fujiwara, Shinji Takeuchi, Ziya Kalay, Yosuke Nagai, Taka A. Tsunoyama, Thomas Kalkbrenner, Kokoro Iwasawa, Ken P. Ritchie, Kenichi G.N. Suzuki, and Akihiro Kusumi. Journal of Cell Biology|DOI: 10.1083/jcb.202110160
“Ultrafast single-molecule imaging reveals focal adhesion nano-architecture and molecular dynamics”
(参考訳:超高速1分子イメージング法による、接着斑ナノ構造分子動態の解明) 著者:Takahiro K. Fujiwara, Taka A. Tsunoyama, Shinji Takeuchi, Ziya Kalay, Yosuke Nagai, Thomas Kalkbrenner, Yuri L. Nemoto, Limin H. Chen, Akihiro C.E. Shibata, Kokoro Iwasawa, Ken P. Ritchie, Kenichi G.N. Suzuki, and Akihiro Kusumi. Journal of Cell Biology|DOI: 10.1083/jcb.202110162