がん細胞のみを標的とする究極の抗がんツール
「セネカバレーウイルス」という名前を聞いたら、危ないウイルスなのでは、と思うかもしれません。しかし、このウイルスは、実は画期的ながん治療となる可能性があるのです。沖縄技術大学院大学(OIST)とニュージーランドのオタゴ大学は、このウイルスが腫瘍とどのように相互作用するか、また、なぜ健康な組織には影響を及ぼさないのかを報告しました。
米国科学アカデミー紀要(PNAS)に発表された本研究は、複雑な形態のセネカバレーウイルスとその受容体の詳細な形を初めて示しました。クライオ電子顕微鏡を用いて撮影した7000以上のウイルス粒子画像からは、非常に高い解像度でその構造を見ることができます。この結果は臨床応用を目的として、ウイルスやウイルス薬候補の開発に役立つことが期待されます。
OISTにおいて生体分子電子顕微鏡解析ユニットの主宰者で、この研究の共同責任著者であるマティアス・ウォルフ准教授は、「がん細胞のみを標的とするウイルスがあれば、それは究極の抗がんツールです。この研究は、がん治療のためのウイルスを設計する取組につながると思います」と述べています。
ヒトのがんの3分の2を標的に
いわゆる「ウイルス療法」は、新しいがん免疫療法としてここ数年で発展してきました。抗がんウイルスは自然界に多く存在しているウイルスで、一般的に、腫瘍を標的とする一方、その周囲の健康な細胞には影響を与えません。様々な研究者がこのようながんを攻撃してくれる物質を探したり、その攻撃戦略を研究し、遺伝子を改変してその有効性を最適化したりしています。米国食品医薬品局(FDA)はステージ4の悪性黒色腫メラノーマを対象としたウイルス療法を既にひとつ承認しており、他のウイルス薬候補も臨床試験で有望な結果を示しています。
セネカバレーウイルスは、ある特別な理由でウイルス療法候補として注目されています。それは、このウイルスがヒトの60%を超えるがんにおいて腫瘍細胞をコーティングしている受容体を選択的に標的とするためです。ANTXR1という受容体は腫瘍上にのみ発現しますが、類縁物質のANTXR2は健康な組織でのみ見られます。セネカバレーウイルスはこの健康な細胞上の類縁受容体には結合せず、ANTXR1にのみ強い親和性を示します。この研究では、その理由を理解しようとしました。
「この2つの受容体の違いはわずかですが、それにもかかわらず、このわずかな違いにより片方はウイルスと高い親和性で結合し、他方は結合しません」とウォルフ准教授は言います。セネカバレーウイルスの外殻はANTXR1の特異的な構造としっかり噛み合うことが確認されましたが、この構造的特徴はANTXR2には見られません。「この構成要素が鍵穴と鍵のように適合しなければなりません。これは高度に進化したシステムで、すべてが完全に噛み合います。」
最適ながん治療を設計
セネカバレーウイルスは、小児固形腫瘍を対象とした第I相臨床試験及び、小細胞肺がんを対象とした第II相臨床試験において、がんに対抗する能力があることが既に明らかにされています。しかし、問題がひとつあります。それは、身体がウイルスに対する免疫を3週間以内に作り上げ、ウイルスが働く前にそれを押さえつけてしまうことです。
「ウイルスをワクチンとして接種するときには、免疫応答が期待されており、その目標はウイルスの破壊です」とウォルフ准教授は言います。「ウイルス療法の場合は、反対のことが期待されます。ウイルスが免疫系を免れ、複製を続けてがん細胞を殺すことです。」
「この構造を見ると、ウイルスのどの部分が受容体との結合に不可欠であり、どの部分がそうでないかがわかります」と、本研究の共同責任著者であるオタゴ大学電子顕微鏡オタゴセンターのミヒナ・ボスティナ教授は言います。「ウイルスを『改善』したいのであれば、免疫系の作用を逃れるために、必要ではない部分を変化させ、不可欠な部分をそのまま残すことを試みることができます。」
このウイルスがどのように働くかについて理解を深めることで、身体の免疫系の裏をかき、強力ながん攻撃物質を守ることができるかもしれません。ウォルフ准教授によれば、原理上は、セネカバレーウイルスに他の受容体を認識するよう改変することも可能で、がんとの闘いにおいて広範囲に適用できるツールとなるとしています。
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