アルミに新たな命を吹き込む
2月25日よりOISTのスカイウォーク(連絡通路)にて展示が始まった作品展「表皮一体~アイデンティティの探求」のオープニングセレモニーに、OISTの職員、沖縄県立美術館、および恩納村の方々を含め、多くの人が集まりました。沖縄の芸術家、宮城明氏がアルミ板を再利用して作った作品60点以上がOISTのガラス張りのスカイウォークに展示されています。「通常、このような場所で美術展を行う機会は無いでしょう」と宮城氏が語る、丘陵の渓谷に架けられたスカイウォークからは、東シナ海が一望できます。
オープニングセレモニーには、宮城氏の91歳のお母様やご姉妹を含むご家族や関係者が集い、挨拶に立ったOISTのロバート・バックマン プロボーストは、「OISTでは沖縄の芸術を紹介する文化活動を行っていますが、とりわけ宮城氏の作品には科学的な要素が存在し、まさにOISTにぴったりだと思います。」と話し、宮城氏を紹介しました。宮城氏は、本作品展の実現に感謝を伝え、「すでに作品、ポスター、ビデオ映像を通じてたくさんのメッセージを送っているので挨拶は短めにします」と切り出した通り、簡潔にご挨拶を述べられました。
終戦直後の1945年に名護市に生まれた宮城氏は、印刷業を営む家庭で育ちましたが、家業は継がず、芸術の道を選択します。宮城氏は、リサイクル活動が注目されるどころか、ほとんど行われていなかった時代に、印刷所に山積みになっていた、オフセット印刷の文字や画像を紙に印刷するためのアルミ板を再利用して芸術作品を創り出す方法を見いだしました。宮城氏が印刷所から印刷版を持ち出し、トラックの荷台に積み込む姿を見ていたお母様は、何をするのか見当がつかず、思いがけないことを始めたに違いないと思ったと言います。宮城氏は自身の作品を通じて事象の境界を探求し、アルミめっきのフレームや、箱、ボディシリーズと呼ばれる作品でその境界を表現しています。
宮城氏の創作活動は、作品を一から作り出す代わりに、テーマを決めることから始まります。その際、具体的なイメージがあるわけではなく、素材が自分を選び、何になりたいかを語りかけてくると宮城氏は言います。宮城氏は、新しいアルミニウムより、柔軟性があり、時間の経過と共にその形がどのように変化していくかを表すことができる使用済みのアルミ板を好んで使用します。戦後の厳しい環境で育った宮城氏の作品は、戦争が人々の心に与えた影響を表現しているように感じられます。
宮城氏は様々な手法を用いて作品にエイジング処理を施します。アルミ板をあぶり、腐食させ、手動工具を使用して木枠にはめ、更に、その上にスチール缶や古着や金属片を載せることもあります。このでこぼこのキャンバスの上に隙間なく塗料を伸ばした後、古い印刷機にかけることで、リサイクル品に新たな命が吹き込まれ、最終的なイメージが作り出されます。
宮城氏は、「最後の印刷の工程はプレゼントを開けるような気持ちです。」「どのような作品が生まれるはかやってみるまで分かりません」と話します。シリコンや衣類などを取り込み、それらを延ばした上にアルミめっきを施すことで、工業製品のような胴体部のイメージを作り出すこともあります。
宮城氏の作品は1990年代前半より、東京や沖縄のギャラリーに展示されています。沖縄県立美術館のチケット売り場より上を見上げると、宮城氏の大作のひとつである4×8メートルもの作品が展示されています。OISTでの作品展が宮城氏の19回目の個展となりますが、宮城氏のご家族は今でも最初の個展のことを鮮明に思い出すと言います。宮城氏の作品のレパートリーは当時より広がり、ご家族の自宅には作品が多数飾られているそうです。また、宮城氏は高校で27年間、沖縄県立芸術大学で3年間、美術の教鞭をとっておられました。ここ数年は自宅で美術教室を開いており、地元の方にアートや絵本の作り方などを教えています。
「父が最初にOIST設立の構想を聞いたとき、素晴らしい大学になるだろうと話していました」と宮城氏は言います。残念なことに、宮城氏のお父様は3年前に他界されました。「私の個展がOISTで開催されることを知ったら、きっと父はとても喜んだと思います」と宮城氏は語って下さいました。
本作品展は5月10日まで開催されています。