全か無か、それが問題だ
概要
この度、沖縄科学技術大学院大学(OIST)の二つの研究グループが共同で、アナログ的な情報処理を行うと考えられてきた線虫の神経系において、全か無かの法則に従う活動電位の発生を伴うデジタル情報処理機構が備わっていることを実証しました。
ヒトなどに比べると少数の神経細胞からなる線虫の神経系においても、高等動物の脳内活動で観察されるようなアナログ及びデジタルの2つの情報処理様式を持つことが示されたことから、将来的には線虫から得られた知見に基づき、ヒトの記憶・学習など複雑な高次脳機能がより深く理解されることが期待されます。
本研究成果は2019年3月5日にオープンアクセスの電子ジャーナル Scientific Reports(サイエンティフィック・リポーツ)に掲載されました。
研究の背景と経緯
ヒトを含む高等動物の脳の働きを研究する上で最大の課題は、莫大な数の神経細胞とそのネットワークの複雑さです。これに対して、体長わずか1mmの線虫の神経系は302個と非常に少ない神経細胞から構成され、全神経回路が既に同定されています。また、単純な神経系からなる線虫ですが、ヒトと共通な遺伝子を有しており、ヒトや動物が2つの刺激やイベントについてその関連を学習する、条件付け連合学習といった高次な脳機能を持つことも明らかにされていることから、これまでに、様々な神経メカニズムを研究するために線虫を用いた分子遺伝学的研究が広く行なわれています。しかし、線虫の神経応答を電気生理学的に観察することは、そのサイズの小ささから、極めて困難なものでした。
研究内容
研究は、OIST内の二つの研究グループがそれぞれの強みを生かして行いました。情報処理生物学ユニット(丸山一郎教授)は主に線虫の脳神経摘出など線虫を用いた実験、そして神経生物学研究ユニット(ジェフ・ウィッケンス教授)は線虫の小さな神経系から出る電気信号を記録する技術でそれぞれ貢献しました。
線虫では、ほ乳類などの活動電位発生に必要な電位依存性ナトリウムチャンネルが発見されておらず、線虫の神経系は、緩電位応答によるアナログ的な情報処理を行うと考えられていました。
実験では、通常の電極に比べ先端径の小さな電極を作製し、塩に対する線虫の味覚神経の応答を測定・解析しました。味覚神経の味覚受容末端を塩で刺激すると、細胞体にある記録電極からは、塩分濃度に依存することなく、全か無かの法則に従う活動電位が検出されました。全か無の法則とは、神経細胞を興奮させる刺激の強さのボーダーライン(閾値)を越えると興奮する、越えなければ興奮しない、という生物現象に由来します。さらに、電極を用いた神経応答の解析に加え、薬理学的、遺伝学的、そしてイメージング解析を組み合わせた結果から、塩誘発性の活動電位に、電位依存性カルシウムチャンネルが必要であることが明らかになりました。
今回の研究成果のインパクト・今後の展開
本研究成果により、比較的単純な線虫の神経でも、高等生物の高次神経系と同じように、外部からの入力刺激が、アナログ信号だけでなく、活動電位発生を伴うデジタル信号に変換されることが明らかになりました。神経応答を直接観察できる電気生理学的手法を、線虫に導入することに成功したことは、極めて大きな意味を持ちます。
丸山一郎教授の研究チームは、これまでに線虫の学習・記憶についても報告しており、今後、学習の成立後に起こる神経の可塑性を電気生理学的に解析できることが期待されます。また線虫の平均寿命は2週間と短いことから、老化・寿命のモデルとしても広く研究されており、認知機能に対する老化の影響など、より多面的な神経の働きを明らかにできるかもしれません。