何が種を種ならしめるのか? ゲノム研究で進化を理解する「意味」を探って
見た目も同じ、食べるものも同じ、行動も同じ、生息環境も似通っている2匹の生物がいたら、それらは同じ種の生物だと考えるのではないでしょうか。
しかし、海面の微小な粒子を餌とする小さな動物プランクトンは、そうした簡単な予測に疑問を投げかけます。大阪大学、バルセロナ大学、沖縄科学技術大学院大学(OIST)の研究チームは、瀬戸内海、地中海、沖縄諸島周辺の太平洋に生息するワカレオタマボヤ (Oikopleura dioica)のゲノムを解析し、種分化やゲノム上の遺伝子位置の役割について多くの疑問を投げかけました。この研究結果はこの度、科学誌『Genome Research』に掲載されました。
「ワカレオタマボヤはゲノム研究に新たな道を開いています」と、同論文の共同筆頭著者であるOISTのゲノム・遺伝子制御システム科学ユニットの研究員、シャルル・プレシ博士は話します。「ワカレオタマボヤは、ゲノム変化が非常に大規模かつ早く起こるため、そのメカニズムを研究室で研究することができます。モデル生物として、これはとてつもなく有利です。」
ワカレオタマボヤは、世界中の海面に生息する小さな動物プランクトンで、発生生物学のモデル生物として用いられています。脊索動物であるワカレオタマボヤは、遺伝的・発生学的に脊椎動物と共通する主要な特徴を持っています。例えば、脊索は脊柱のような索状の中枢神経束ですが、骨はありません。さらに、そのコンパクトなゲノムは、これまでに報告されている寄生性の動物以外のゲノムとしては最小で、大規模なゲノム解析が容易にできます。
OISTにおけるワカレオタマボヤの採集、飼育、ゲノム研究への利用に関する動画をこちらでご覧いただけます。
ゲノム界の「バベルの塔」
研究チームは、上述した世界の海3地点で採集したワカレオタマボヤの三つの系統を調べました。これらの系統の形態学的、行動学的、生態学的特徴はほとんど同じであるにもかかわらず、ゲノムは大きく異なっていました。
ゲノムは、一つの種において全個体間で共有される「言語」であり、すべての細胞核内に保存され、その種を形作る遺伝情報の全体が含まれています。特定の意味を伝える際に、文法によって語順が決められているように、ゲノム情報の基本単位である遺伝子も、転写・翻訳され、生命の基本的構成要素であるタンパク質が合成される際に、互いの関連性が調節されます。遺伝子調節には、他の遺伝子や細胞内の分子、ホルモンなど、遺伝子の転写の活性化や速度に影響を与える複数の要因が関係しています。
ワカレオタマボヤのゲノムで不可解なのは、三つの系統は、ほとんど同じ身体的特徴を持っているにもかかわらず、その「言語」が一致していないように見える点です。つまり、遺伝子によって生み出される「意味」はほとんど同じであるにもかかわらず、ゲノムの「言語」がそれぞれで大きく異なっているのです。
研究チームは、ワカレオタマボヤで観察された現象を「スクランブリング(倒置構文)」という用語で表現しています。この用語は言語学に由来するもので、意味の変化なしに、様々な異なる語順で文章が作られる現象を指します。この現象は英語では起こりませんが日本語や他の言語では起こります。例えば、「ワカレオタマボヤのゲノムは高度にスクランブルされている」という文章を、意味を変えることなく「高度にスクランブルされたワカレオタマボヤのゲノム」と並べ替えることが可能です。ゲノムの再配列はすべての種に共通であり、ゲノムのスクランブルは非常に長い間、いくつかの種で観察されてきましたが、ワカレオタマボヤは従来から考えられていた可能性を凌駕しています。
猛スピードで発生するブレイクポイント
研究チームは、ワカレオタマボヤの三つの系統の遺伝子配列を比較した結果、これらの系統は約2500万年前に共通の祖先を持ち、バルセロナと大阪の系統は沖縄の系統よりも近縁で、700万年前に分岐したと推定しました。ちなみに、ヒトがマウスから分岐したのは7500万~9000万年前です。
研究チームは系統解析から、進化の速度を定量的に示す指標として、異なる種のゲノム再編成率を推定しました。その結果、ワカレオタマボヤのゲノム再編成率は、比較可能なカタユウレイボヤの10倍以上であることが判明しました。この論文の共同筆頭著者である同ユニットのマイケル・マンスフィールド博士は「ワカレオタマボヤは世界で最も進化の速い動物の一つです。動物、特に脊索動物は通常、これほどのスピードでゲノムを再編成することはありません」と話します。
このようにワカレオタマボヤの系統間でゲノムのスクランブルが起こっているため、ゲノムでは非常に異なっているのにも関わらず、これほど類似した特徴を保持できているのが不思議だと、プレシ博士は言います。「今回の研究結果は、ゲノムの構成が重要である一方で、特にヒトのように複雑な種にとっては、個々の遺伝子を忘れてはならないことを示唆しています。」遺伝子とゲノムを研究することで、同じ現象を二つの異なる視点から見ることが可能になります。マンスフィールド博士は、「解剖学を研究する科学者もいれば、個々の神経細胞を研究する科学者もいますが、両者とも脳に関する疑問に答えています」と説明します。
誰の問いなのか?
ゲノムのスクランブルは、進化や種の分類について重要な疑問を投げかけています。今回の研究で、ワカレオタマボヤの三つの系統が、形態的にも機能的にもほとんど同じであるにもかかわらず、ゲノムが極端にスクランブルされていることが示されましたが、遺伝子発現がスクランブルされているにもかかわらずそれぞれが類似しているということは、種を分類する際に、ゲノミクスに過度に依存してはいけないという警告にもなるのかもしれません。
「種は人間を必要としていません。人間がそれを考えなければ、動物は同じであり、どのように分類しようが関係ないのです」とプレシ博士はいいます。種の概念自体も、保全や、法律、微生物学や、動物学上など、によって流動的です。「『種とは何か?』という問いは、『なぜ問うのか?』という別の問いで返すことができるのです。」
プレシ博士、マンスフィールド博士、そして海外の共同研究者らにとって、本研究はワカレオタマボヤの異なる系統を飼育し、その混沌としたゲノムを解析可能にするバイオインフォマティック・ツールを開発するという長いプロセスの集大成です。同ユニットを率いるニコラス・ラスカム教授は「当初、ワカレオタマボヤはどれも似たようなゲノムを持つだろうと考えていましたが、これほどまでに大きな違いがあり、しかも多くのスクランブルがあることに驚きました。ワカレオタマボヤを利用して、ゲノム再編成の性質についてもっと知りたいと考えています。まだまだ学ぶことがたくさんあると思うと、ワクワクしてきます」と、本研究とワカレオタマボヤの今後の研究の可能性について語っています。
バルセロナ大学の遺伝学教授で、論文の共同責任著者のクリスティアン・カニェストロ博士は「本研究は、一部の種における “参照” ゲノムの概念に疑問を呈し、異なる地域に生息する生物のゲノムを解読する必要性を示唆します。なぜなら、見た目が似ていても、一部の生物では異なる種が隠れている場合があるからです」と強調します。
これはまだ始まりに過ぎません。謎めいた動物プランクトンの研究には、まだまだ長い道のりが待ち受けています。プレシ博士は「私たちはワカレオタマボヤから多くのことを学びましたが、地球規模で種の多様性の全容を探るには至っていません」と説明します。マンスフィールド博士は、偉大な生物学者ジャック・モノーの言葉を引用し、「大腸菌に当てはまることは、ゾウにも当てはまる」と話します。この研究で開発されたツールを用いて、他の種に目を向けることができます。「私たちはワカレオタマボヤはすべて同じだと思っていましたが、その逆であることが分かりました。他の種でもそのようなことはよくあることで、ゲノム・スクランブルのメカニズムについて知るべきことは、あとどれほどあるのでしょうか?」
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