生物の動きのカオスを数学的に記述する
沖縄科学技術大学院大学(OIST)の生物物理理論ユニットの新研究によると、生物の挙動は、天気や惑星の運動などの物理現象と同じ数学的法則に従っている可能性があるといいます。
物理学には、分子からブラックホールの衝突まで、さまざまなスケールの運動を予測し、モデル化することに成功してきた歴史があります。しかし生物の行動を解明する試みは、まだ非常に新しい概念です。OISTの博士課程を修了したばかりのトシフ・アハメド博士は、この分野の先駆者的研究者の一人です。この度Nature Physics誌に発表された彼の研究で、小さな線虫のC.エレガンス(Caenorhabditis elegans)を用いて、動いている生物の根底にある数学的構造を捉えるための枠組みを提案しました。
「神経科学は、脳の中で何が起こっているかに焦点を当てますが、脳の中で起きていることの多くは動物の動きや行動として表われます。ですから、動物の行動を理解することで、脳の中を見ることができるといっても過言ではありません。最近では、動物の行動を高解像度で記録できる技術が爆発的に普及しています。」とアハメド博士は説明します。
OIST理論生物物理学ユニットを率いるグレッグ・スティーブンス准教授は、「目覚ましい技術の進歩により、DNAの分子から脳細胞、さらには生物全体に至るまで、あらゆるスケールの生体システムを精密に測定することが可能になりました。しかし、これらのシステムの動力学や、時間経過に伴う測定順序を理解する基本的な枠組みがこれまでは不足していました。我々の研究は、それに変化を起こす一助となるでしょう」とつけ加えます。
C.エレガンスという線虫は、生物学や神経科学の分野ですでに多くの画期的な成果を生み出すことを助けてきたモデル生物ですが、この研究においては生物としての単純さが理想的でした。アハメド博士が説明したように、二次元プレートにおかれた線虫の形状は単純な曲線であり、これを数学的に記述するのは比較的簡単です。
研究チームは、オランダのアムステルダム自由大学のアントニオ・コスタ博士とともに、線虫の体に100箇所の点をつけた上でハイビジョンカメラでその動きを記録し、線虫の様々な形状を数値に変換し、各箇所における接線角度を測定しました。研究チームは線虫の姿勢が4つの形状だけで表現できることを以前の研究で、発見しており、この形状を「線虫固有状態」と名付けました。ある瞬間に線虫がどのような形状をしているかは、この4つの線虫固有状態を数学的に組み合わせることで描くことができます。
研究者たちは今回の研究でさらに一歩踏み込んで、線虫のある一瞬の静的な形状ではなく、その挙動の動力学を「描く」、つまり線虫の形状の時間変化に規則性を見つけだしました。
振り子に例えると
ある瞬間に振り子がいる場所を測れば、振り子がどんな姿をしているかを知ることができますが、振り子がこれからどのように動くかついてはわかりません。しかし、現時点と過去のある時点の点を見せれば、振り子がどちらから来て今そこにいるのか、そしてこれからどちらに向かって動くのかを知ることができます。
この研究でも同様の手法がとられましたが、それは振り子の場合よりはるかに複雑でした。研究チームはまず、予測可能性の新たな指標を開発しました。その指標とは、将来をランダムに推測するよりも精度よく予測できる単位時間の測定です。そして線虫の形状の時間変化を観察しました。その結果、7種類の線虫の時間変化のパターンを発見しましたが、そのすべてが驚くほど解釈しやすいものでした。
しかし、振り子とは異なり、線虫の行動を永遠に予測することはできませんでした。「天気予報は今日や明日の天気を高い確率で予測できますが、長期予報では精度が下がってしまうことと似ています。線虫が今どういう動きをしているかが分かれば、次の瞬間にどうなっているかについては、かなり自信を持って予測することができます。しかし、2~3秒後になると、より難しくなります」と、アハメド博士は語ります。
アハメド博士は、なぜ線虫の動きが予測できないのかを探りたいと考えました。データをさらに分析すると、カオス力学がその役割を果たしている可能性が見えてきました。
カオス力学とは、測定値の小さな不確実性により、長期的な予測ができなくなる現象のことを指します。これは、不規則な乱れの影響を受けていない場合でも起こり得ます。
典型的な例としては、二重振り子があります。いくつかの二重振り子をほぼ同じ位置から振り出しても、それらは短時間のうちに全く異なる動きをするようになります。
研究グループは、線虫においてこの例を探ってみました。その結果、2匹の線虫が同じような行動をとるようになった場合、約1秒という短い時間に、同じような行動をとり続けることを発見しました。驚くべきことに、その後の行動形態の分岐が起こるまでのこの短い時間は、カオスシステムにおいて将来を予測できる期間を測る数学的な量によって決定されます。
「この行動の根底にこのような構造があるとは予想していませんでした 。この研究で最も驚くべきことであるのは間違いありません」と、アハメド博士はコメントしています。
この研究は特に線虫に焦点を当てたものですが、開発された枠組みは生物学の分野全体で使用できるはずです。
「一般的に、生物は数学的にモデル化できるとは考えられてはいません。しかし、どんな動物でも、できる動きの数には限りがあり、ある特定の動きをたくさんするかどうかは、測定できる可能性があります。私たちは今、数学的な枠組みを見つけました。今後、その枠組みを説明するための方程式やモデルを開発していく予定です」と博士は語っています。
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