表面的な関係:水面上の石鹸水の滴
マヘッシュ・バンディ准教授の自宅を覗いてみると、キッチンカウンターの上に、水面にコショウの粉粒を散りばめた水の入ったボウルが用意されています。 沖縄科学技術大学院大学(OIST)で物理学を教えるバンディ准教授は、箸の端っこを石鹸水につけ、さも愉快そうな表情で夕食に招いた客人たちに尋ねます。「この石鹸を水面につけると、コショウの粉粒はどうなると思う?」
バンディ准教授が箸を水面につけた途端、ボウルの水面に浮かぶコショウの粉粒は、中央から逃げるように移動しました。 これはマランゴニ効果と呼ばれる現象の非常に単純な例で、バンディ准教授はOISTの構造物性相関研究ユニットでこの現象を研究しています。
1686年にはすでに報告がなされたこの現象は、表面張力(液体表面がまるで引っ張られた弾性体のようにふるまう性質)の差によって引き起こされます。より大きな表面張力を持つ物質は、小さな表面張力を持つ物質よりも強く引っ張るので、その方向へ液体の流れを引きよせるのです。
英国の有名な物理学者ケルヴィン卿の兄にあたるジェームス・トムソンは、1855年にこの現象について「ワイングラスの内部に付着したワインの薄膜によく見られる奇妙な動き」と記述しています。まさにそれと同じ力により、アメンボは池の水面上を進むことができ、またバンディ准教授が客人たちに見せたように、コショウの粉粒が水面を移動するのです。このようにあちこちで見られる現象であるにもかかわらず、マランゴニ効果を理解することは簡単ではありません。
「台所ではいとも簡単に観察できますが、定量化が難しい現象なのです」と、バンディ准教授は話します。Physical Review Letters 誌に掲載された新たな研究成果で、バンディ准教授らは、互いに独立した3つの測定方法を用いてこの現象を研究し、この定量化が実現できることを報告しています。
石鹸水がボウルに入った水に落ちる時、いくつかの事象が生じます。水の表面に広がるものもあれば、水中に溶け始めるものもあります。 研究者らは、マランゴニ効果を構成するこれらの要素が、様々なレベルで生じることを発見したのです。
定量化にあたり、バンディ准教授らは、ブラウン大学のシュレイヤス・マンドレ教授が開発した数学モデルを用いました。それは、水のような液体が石鹸水や洗剤のような表面張力を弱める界面活性剤とどのように相互作用するか予測するもので、OIST研究員らは特注のクリーンルームで、その予測を検証するため、いくつかの実験を行いました。
液体の動きを明らかにするため、まず研究者らは水で満たされた長方形の容器を用意しました。それから注射器を用いて小さな粒子を含む界面活性剤を、空気と水のちょうど境界面に注入しました。
その後研究者らは、レーザービームが液体に衝突した時の周波数変化を検出するレーザー・ドップラー速度計を用い、2つの液体の速度を可視化しました。そして以下の2つの追加的な方法で結果の検証を行いました。まず界面活性剤が境界層を通過して下方の水中への拡散を測定し,さらに「せん断応力」または界面活性剤が水をけん引する力の測定も行いました。
この実験モデルを使うと、界面活性剤が広がる速度をかなり正確に予測できることを研究者らは見出しました。この発見は以下の二つのシナリオに当てはまります。つまり界面活性剤が容易に溶解するか否かに応じ、界面活性剤は水表面に拡散する場合と水中に拡散する場合があります。
これまでの研究では、界面活性剤は表面に広がるよりも速く水中に溶けることが示唆されましたが、本研究成果により、界面活性剤の溶解と表面の広がりがこの現象にどう影響するかについて、より複雑な全体像が明らかになりました。
この実験の結果は界面活性剤が容易に溶解するかどうかに依存することを、研究者らは発見しました。界面活性剤が容易に溶解する場合、水の表面全体に広がるよりも速く水中に拡散し、容易に溶解しない場合には、水面拡散のほうが水中拡散するよりも速いのです。
本研究は、複雑でダイナミックな現象を理解する一助となります。
「理論というものは現実の近似ですが、現実の世界はもっと複雑なものです」とバンディ准教授はコメントしています。 それでもバンディ准教授と共同研究者たちは、現実世界での液体の挙動を、この度めでたく予測することに成功したのです。