熱水地帯の入植者

中島祐一博士はフジツボの遺伝情報を解読し、気候変動が深海に与える影響について解明することを目指しています。

   深海はあまりに遠い存在で、人間の活動が引き起こす何らかの変化が深海の生物にまで影響を及ぼしているとは想像し難いものです。さらにもっと難しいのは、深海から証拠を収集、調査し、どのような影響があり得るか特定することです。フジツボを思い浮かべてみましょう。ミニチュア版の火山のような形をした硬い固着生物です。岩や船底など硬いものに付着し、海水中の微生物をろ過して食べます。実はこのフジツボが、気候変動が深海に与える影響を解明する鍵を握っているのです。沖縄科学技術大学院大学(OIST)海洋生態物理学ユニットの中島祐一博士は、この度、OISTマリンゲノミックスユニット及び海洋研究開発機構(JAMSTEC )と共同で深海性フジツボの2種類を研究しました。沖縄及びマリアナ諸島近くにある2つの深海トラフ(海底盆地)におけるフジツボ集団の多様性と分化を示す遺伝子データを同定し、本研究成果はInternational Journal of Molecular Sciencesに掲載されました。

   フジツボは研究対象として極めて便利な生き物で、しっかりと保護されていながらにして持ち運び可能、DNA抽出および配列決定も比較的簡単にできます。本研究では、Neoverruca sp.1とNeoverruca brachylepadoformisと呼ばれる2種の深海性フジツボを調べました。これらの標本は、JAMSTECの調査航海により、沖縄トラフとマリアナトラフにおいてそれぞれ水深1000メートルと3600メートルの地点から遠隔操作機器を使い採集されたものです。中島博士はフジツボからDNAを抽出し、マリンゲノミックスユニットのメンバーと共同で多型として知られる遺伝子コードの違いに配慮しながら配列決定を行いました。 多型とは、長い核酸配列上にある反復配列のパターンがフジツボの種や個体ごとに異なることを言います。同博士は多型別にDNA断片をグループ化し、マイクロサテライトと呼ばれる12のDNA断片を同定しました。これらの断片は各々固有の遺伝子コードを持ち、遺伝マーカー(目印となるDNA配列)として利用することができます。高精度の遺伝マーカーを用いれば、通常は気づけないほどの微妙な遺伝子コードの違いをとらえ、近縁の種や個体を識別することができます。

   マイクロサテライトマーカーの同定が重要なのは、マイクロサテライトにより集団内で遺伝子がどのように受け継がれ遺伝するかを明らかにできるからです。この遺伝子データを解析すると集団の遺伝的多様性が示され、それをもとに研究者らはそのある集団の健全性の評価を行うことができます。 「遺伝的多様性は、集団のサイズや絶滅の指標となります」と 中島博士は述べたうえで、「遺伝的多様性が高いほどその集団は健康であることを意味し、逆に遺伝的多様性の低下は血縁度が高くなっていることを意味します」と説明しました。血縁関係はある個体から別の個体へと集団内で遺伝子を広めていく交配を介した個体間の相互作用によって生じます。小さな集団においては、血縁度、つまり個体間の遺伝子の共有度合いが大きな集団よりも高くなり、その集団の遺伝的多様性を減退させます。 「集団が存続するためには遺伝的多様性は不可欠です」と同博士は述べました。

   さらに、マイクロサテライトを調べると、ある集団に新たな遺伝子がどこから導入されたかを明らかにし、他の集団が移住してきているか否かを示すこともできます。そのため、沖縄トラフとマリアナトラフに生息するフジツボの間の遺伝的な連続性、つまり遺伝子の共有について説き明かす際に役立ちます。この2つのトラフの間は1000キロメートル以上も隔てられ、その間には深海性フジツボが生息できない海が横たわっています。厳密にいえば、固着性の成体としては、フジツボはその海では生きられません。若い幼生の時期には、フジツボは海流に乗って浮遊し他のトラフに移住することができ、他の集団に自己の遺伝子を導入することができます。フジツボの移動パターンを調べれば、北西太平洋における海流の動きがわかります。

   種や集団の遺伝的多様性に関する研究は、海流の流れや種どうしのつながりを明らかにするだけでなく、種の絶滅危険性の予測も可能にします。 「深海生物が絶滅するのではないかと心配しています」と中島博士は語ります。フジツボをモデル生物として用いることで、同博士は他の生物種の状態や深海生態系の変化を推察し、種が絶滅してしまう前にその行く末を予測することができるのです。

 「海の表層が気候変動によって影響を受けることは知られています」と中島博士は言い、このような影響が深海に及ぶかどうか研究者らは長い間わからなかったと語りました。気候変動は海流を変化させるだけでなく、マリンスノーにも影響を与えていると考えられます。マリンスノーとは、海中の有機物が集まり、あたかもふわふわした雪の結晶のように海底に降り注ぐ現象を指します。マリンスノーは深海の腐食動物の食糧となりますが、中島博士を含め多くの海洋科学者は気候変動が深海へと沈降するマリンスノーの量を変えてしまうかもしれないと懸念しています。 「最近の研究では、海表面の乱れは深海にも影響することが報告されています」と 話す同博士のフジツボ研究が貴重な窓となり、それを通して、この時代の最も深刻な環境危機が、世界の最も謎に包まれた場所をどのように変えようとしているのか調べることができるのです。

 

ラッシュ ポンツィー

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