越境し、行動する。何故なら、世界を変えることができるから。
8月9日、東京都内で第12回Nature Caféが開催され、都内や岡山、東北などから73名の大学生や大学院生らが参加しました。ネイチャー・パブリッシング・グループが主催するこのサイエンス・カフェでは、毎回トップクラスの科学者をよんでグローバルな視野から議論を行います。今回はOISTとの共催により、SONYコンピュータサイエンス研究所を会場として「変われるか、ニッポン? ~変革を迫られる大学・研究機関~」をテーマにパネルトークを行いました。パネリストに、政策研究大学院大学アカデミックフェローでOIST理事の黒川清理事、東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構(Kavli IPMU)の村山斉機構長、SONYコンピュータサイエンス研究所の代表取締役社長・所長でOISTの北野宏明教授、OISTの杉山(矢崎)陽子准教授をお迎えし、それぞれの立場から国際的キャリアを目指す理系学生に向けて、現代の国際化社会をどう生き抜くかについて語って頂きました。モデレーターは毎日新聞科学環境部の元村有希子編集委員がつとめました。
講演の冒頭で黒川理事は「変われるか、ニッポン? 変われないよ、自分が変わらなくちゃ。」と語りかけ、激動する今日、海外から日本の様々な姿を捉え直すことの重要性を述べました。
北野教授は砂漠の夜明け朝の霧の写真を見せながら「海の水蒸気がアラビア半島の内陸部で濃霧になる。もしその霧を集めることができればこの場所の水問題はかなり解決する。しかしこれはその場所に行ってみないとわからない」と延べ、学術研究の場から飛び出して現場に行くことで見えてくる社会活動や貨幣経済などの本質的な価値について説明しました。また、「Act beyond border, because we can change the world(越境し、行動する。何故なら、世界を変えることができるから。)」という彼の信念を紹介しました。
杉山准教授は「自分自身が国際化社会を生き抜く努力をしている最中」と延べた上で、キンカ鳥を使った実験から学習の臨界期を制御する脳の機能を明らかにするOISTでの研究について紹介しました。そして、水泳選手を例に、お互いが切磋琢磨することが世界記録の更新、引いては水泳競技の発展につながるように、研究も成果が出ることで論文や学会発表などを通じて世界の研究者に自分の努力の結果が伝わり、交流が生まれると述べました。
村山機構長は「私はなぜ日本が嫌いか」という刺激的なテーマのもとに、小学6年生から中学3年までドイツに在在し、その後帰国して国際基督教大学高等学校から東京大学、カリフォルニア大学バークレー校に進学した経験から日米の研究環境の違いについて語りました。「一度道を外れた人間はその後の人生が不利になる」とつい感じさせてしまう日本独特の社会風土とは対照的に若手研究者を勇気づける米国の開放的な文化、政治と科学がダイナミックに直結し、ある日突然研究所が閉鎖されることもある米国の不安定な状況、ライバル研究者の論文発表に遅れをとらないために欧州と米国で連絡を取り合って急いで論文を取りまとめた逸話など、興味深いエピソードの数々に参加者は時に爆笑しながら聞き入っていました。2007年からKavli IPMU機構長として世界中から優秀な研究者を多数招聘してきた経験から、海外からの大学院生への生活費支援や不動産契約における苦労話を引き合いに出し、「自分と違うものを受け入れる国にならないと、日本はこの先、本当につぶれる」と警鐘を鳴らしました。
サプライズもありました。MITメディアラボの伊藤穰一所長がゲストとして飛び入りしたのです。伊藤所長は大学を卒業せずにベンチャーキャピタリストとして国内外で活躍し、2011年に日本人で初めてMITメディアラボの所長に就任しました。「インターネットとコンピュータの発展によって、新分野参入のコストが下がっているので有能なエンジニアが集まりやすい。日本人は元来サイエンス、エンジニアリング、アート、デザインをバランスよく取り入れる職人気質が多い。MITメディアラボでは他の研究所だと仲間外れになるような逸材を採用し、応援している。日本でもそうした研究所を作ると良いと思う」と述べました。
最後にカジュアルな雰囲気の中で懇親会が行われ、参加者の学生達はパネリストを囲んで、将来の進路や海外留学などについて積極的に質問をし、活発な議論が夜遅くまで続いていました。「期待以上だった」「自分のやりたいことを考え直すきっかけになった」「普段受けている講義と比べようもないほど面白かった」などの感想が寄せられた今回のNature Café。OISTにとっても熱心な学生たちと直に意見交換する貴重な機会となりました。