海底2海里

ベアトリス・レクロ研究員は、世界で最も深い海溝の一つに生息する、有孔虫と呼ばれる小さな生物について研究しています。

 今春、沖縄科学技術大学院大学の生物多様性・複雑性研究ユニットに所属するベアトリス・レクロ研究員は、太平洋を航海する船に飛び乗りました。しかも、この船はただの船ではありません。何十人もの海洋科学者、そしてネーレウスと名付けられた、世界一深く潜ることができる無人深海探査艇を乗せた調査船なのです。

 調査船は今回、ニュージーランドから、フィジー、そしてサモアへと伸びる世界で最も深い海溝のひとつ、ケルマデック海溝に沿って航海しました。ニュージーランドのオークランドを出港した同船は、サモアのアピアへと向かいました。その間ケルマデック海溝に沿って進み、同海溝の海底へ到達するためにネーレウスを約8時間に及ぶダイビングに送り出しました。海溝の最深部、海面下10,047メートルの地点では、周りからの水圧が1,000気圧を超えます。にもかかわらず、同海溝は不毛な荒野ではありません。生命の躍動に満ちているのです。「驚くほど活気に満ちているんです」とレクロ研究員は語ります。「もちろん、堆積物によってロボットの足跡が残る海底には、ある種月面のような雰囲気もあります。ですが、そこにはたくさんの生き物が見られるのです。」

 海溝に潜る度、ネーレウスは高解像度カメラを使い、リアルタイムの映像を母船に送信します。研究者達はその映像を観るため、 幾つも並ぶ画面の前に集まります。中には、顕微鏡下での堆積物観察に匹敵するほど詳細な映像もあります。専門スタッフがネーレウスの位置を操作し、いつどこでサンプルを採取するか指示を出します。研究者が興奮して画面を指差せば、専門スタッフはネーレウスをその場で止めて、海底堆積物や深海生物を採取することもあります。

 レクロ研究員がとりわけ興味をもって探したのは、有孔虫と呼ばれる、主に海底堆積物中に生息する極めて多様性に富んだ単細胞生物です。 浅海に住む有孔虫は、沖縄では竹富島の砂浜を埋めつくしている星砂としておなじみかもしれません。しかし、深海に住む有孔虫の見た目は、星砂とは非常に異なっています。科学者が目にする有孔虫のほとんどは、カルシウムでできています。しかし、深海の環境下では石灰化を行えないため、有孔虫は他の物質から体を作らなければなりません。深海の有孔虫の中には、細胞1個でできた体でありながら、20センチメートルもの大きさまで達するものもあります。有孔虫の形態はあまりに多様で、見た目で新種を見極めることはほぼ不可能です。異なる有孔虫種間 の系統関係は、通常、DNA配列を解析しなければわからないとレクロ研究員は言います。

 「海面下10,000メートルは、完全な別世界です。」とレクロ研究員は述べた上で、「この深さに住む生物を研究するなら、普通は状態の良い死骸を手に入れるしかありません。」と説明しました。高圧環境である深海から低圧環境である海上に 引き上げることは、生き物にとってとてつもない変化であり、ほとんどの場合はその変化に耐えられません。 深海探査艇なしには、生きた有孔虫を見ることも、ましてや生息地における様子を観察することなど到底できません。ネーレウスから受け取ったこの映像は、同研究員にとって、有孔虫の生息環境や多種との関係を研究するためになくてはならないものなのです。

 有孔虫を深海で再び見る機会がレクロ研究員に巡って来るには、かなり待たなければならないかもしれません。なぜなら、この航海最後の潜水の最中に、ネーレウスは消息を絶ってしまったからです。専門スタッフによると、極度の水圧により圧壊したと推測されるとのことでした。深海に潜るロボット潜水機は他にもありますが、ネーレウスは、現在運用されている中で、一番深く潜れる探査艇でした。ネーレウスをもう一度設計し建造しなおすには、何年もかかるでしょう。

 その間レクロ研究員は、ネーレウスが収集した有孔虫のDNA配列解読を行い、有孔虫がどのような進化を経てここまで高度に多様化してきたのかについて調べる予定です。レクロ研究員が2011年に、ある有孔虫のグループを対象にDNA解析を行った際には、そのDNA配列の90%が、とても古い祖先型の系統か、あるいはこれまで全く研究されてこなかった系統のいずれかに属するものであることがわかりました。「以前、有孔虫の多様性の全体像だと考えられてきたものが、実は、氷山の一角にしかすぎなかったということです。」と同研究員は説明し、「有孔虫の種類の多さは、我々の想像をはるかに超えています。」と語りました。

 有孔虫の例が、深海生態系の多様性の何らかの指標となるならば、今後研究者は、ますます深海調査に精を出す必要があるでしょう。深海生物が異形と映るのは、研究者にとって浅海の生き物の方によりなじみがあるからにすぎず、実際の深海生物が少数派だから、ではないからです。「海は地球表面の70%を占めており、そのうち95%は深海だと考えられています。」とレクロ研究員は説明し、「深海は、実はこの星で最もメジャーな生態系なのです!」と熱を込めて語りました。

 

 

ラッシュ ポンツィー

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